なばため ひとみ
生天目 仁美
2013年、第26回東京国際映画祭にて
プロフィール
愛称なば[1][2]、なばちゃん[1]、なばっち[1][2]
性別女性
出生地 日本・新潟県佐渡市[3]
出身地 日本・神奈川県横浜市[3]
生年月日 (1976-08-04) 1976年8月4日(47歳)
血液型B型[3][4]
職業声優、女優、歌手
事務所賢プロダクション[5]
配偶者あり(2014年 - )[6]
公式サイト生天目 仁美 賢プロダクション [Kenproduction] 声優事務所・タレント事務所・声優プロダクション
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重163[4] cm / 50 kg
声優活動
活動期間2003年[8] -
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え
デビュー作リムルル(『サムライスピリッツ零』)[8]
アルクェイド・ブリュンスタッド(『真月譚 月姫』)[8]
宮間夕菜(『まぶらほ』)[8]
女優活動
活動期間1998年 -
ジャンル舞台、テレビドラマ
デビュー作斑蜘蛛(『天うらら』)
音楽活動
活動期間2006年 -
ジャンルJ-POP、アニメソング
職種歌手
レーベルチェンバースレコーズ
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生天目 仁美(なばため ひとみ、1976年8月4日[7][9] - )は、日本の声優、女優、歌手。新潟県佐渡市生まれ、神奈川県横浜市出身[3]。賢プロダクション所属[5]。スクールデュオ講師で特別講義を担当[10]。既婚。 声優以外で少女時代に憧れていた職業は小学校の教師だったという[4]。小さい頃から歌を歌うのも好きだったという[11]。まだ言葉もはっきり話せなかった頃に、ピンクレディのマネをして、テレビを相手役に振り付けをしながら、1人で歌っていたようだった[11]。子供の頃は、毎年夏になると祖母の家で過ごし、母がその時、歌を祖母に聴かせようとしていたようで、歌っている歌をカセットテープに録音し続けてくれたという[11]。3歳から5歳ぐらいは歌う曲も決まっており、生天目は『キャンディキャンディ』を歌っていた[11]。小学生の時から、学芸会などに出ることが好きだったり、放送委員などで発表したり、人前で何かをすることは楽しかったが、芝居をしようという気持ちはなかった[11]。その時、放送部でお昼放送に民話の『吉四六さん』を読み、流したことがあり、このことを、芝居が好きになったのだと語る[12]。学校で、手を挙げて率先して国語の教科書も読んだりしており、人前で何かをするのには抵抗がなく、好きだったんだと語る[11]。 当初は芝居、演技などに興味はなかったが、母が観劇などが好きだったため、一緒に行っていた[11]。初めて観ていた舞台はミュージカル『レ・ミゼラブル』であり、当時は内容がわからなかったが、感銘を受けて「舞台に立ってみたい」[1]、「お芝居やりたいな」と思うようになった[13]。 ある時までは幼稚園、小学校の教師になろうと考えていたため、大学に進学しようと考えていた[11]。 担任の教師に「お前はやりたいことがあるのか?」と尋ねられ、「学校の先生になりたいけど、ちょっと演技にも興味がある」と話しており、教師が「親のすねはかじれる時にかじっとけ」と言ってもらい、その時に「親のすねをかじってもいいんだ」と思い直したという[11]。そう言われた瞬間に「やりたいことをやろう」と思い、「私はミュージカルをやりたい」と資料請求したり、体験入学に行ったり、申込書を書いていた[14]。その後は両親を説得し、両親は教師に「ミュージカルをやりたい」と言っていたことを知っていたため、突然の変化に驚いており、初めは両親は「えっ?」という感じだったが、「やりたい」という気持ちを話し続けて、両親も「じゃあ好きなことをやってみたら」という感じになってくれたという[14]。 代々木アニメーション学院[15]、専門学校東京コンセルヴァトアール尚美(現在の尚美ミュージックカレッジ専門学校)卒業[16]。 専門学校に体験入学に行かれていた時はミュージカルの学校だったため、生まれて初めて発声の練習などをしていたが、とても楽しく進路変更の時期が遅かったせいもあり、体験入学に来ていた人物たちはあまり多くなかったという[14]。 専門学校時代はミュージカル科ということもあり、周囲の皆は小さい頃からピアノを習っていたり吹奏楽部所属していたり、何かしら音楽をしていた人物がほとんどだった[14]。
経歴
生い立ち