生國魂神社
拝殿
所在地大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度39分54.41秒 東経135度30分45.65秒 / 北緯34.6651139度 東経135.5126806度 / 34.6651139; 135.5126806 (生國魂神社)
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ、新字体:生国魂神社)は、大阪府大阪市天王寺区生玉町にある神社。「いくたまさん」と呼ばれる。
式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。別称は「難波大社(なにわのおおやしろ)」など(※「#社名」も参照のこと)。 大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して大坂本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に西成郡西高津村の現在地に遷座されている。 この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の一つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社の一つである。 古くからの社殿・神宝は幾多の火災・戦災によって失われたが、現本殿には「生國魂造(いくたまづくり)」と称する桃山時代の独特の建築様式が継承されている。また、7月11日・12日の夏祭など古くからの祭りが現在まで続けられている。 古代の史料から見出すことのできる当社の名称には次のようなものがある[1]。 近世には「生玉宮」「生玉社」「生玉明神」などとも称された[1]。現代の名称としては、「生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)」のほかに、別称の「難波大社(なにわのおおやしろ)」[2]、主に地元の通称としての「いくたまさん(もしくは「いくだまさん」)」がある。なお当神社の公式サイトでは「いくたまさん」「ikutamajinja」がそれぞれ用いられている。 また、当社に由来する地名としては、近世に見られる「生玉(いくたま、いくだま[3])」という社名に通じる語形が用いられてきた[4]。 祭神は次の3柱[2]。 延長5年(西暦換算〈以下同様〉:927年)成立の『延喜式』神名帳[原 8]における祭神の記載は2座[1]。
概要
名称
生國魂社 - 『日本書紀』[原 1]
難波大神社 - 『新抄格勅符抄』[原 2]
難波大社/難破大社 - 『延喜式』四時祭相嘗祭神条[原 3]、『延喜式』臨時祭祈雨神祭条[原 4]
難波大社神 - 『日本三代実録』[原 5]
難波生國魂神 - 『日本三代実録』[原 6]
難波生國魂神社 - 『延喜式』臨時祭名神祭条[原 7]
難破坐生國咲國魂神社 - 『延喜式』神名帳[原 8]
祭神
主祭神
生島大神(いくしまのおおかみ、生嶋大神)
足島大神(たるしまのおおかみ、足嶋大神)
相殿神
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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