甘楽郡(かんらぐん)は、群馬県(上野国)南西部に存在する郡である。
人口19,125人、面積365.82km²、人口密度52.3人/km²。(2024年4月1日、推計人口)
以下の2町1村が含まれる。
下仁田町(しもにたまち)
南牧村(なんもくむら)
甘楽町(かんらまち)
郡域
甘楽郡(第1次)詳細は「南甘楽郡#郡域」および「北甘楽郡#郡域」を参照
概ね上記の区域を合わせたものだが、行政区画として画定されたものではない。 1950年(昭和25年)に改称した当時の郡域は、上記の2町1村以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。 明治以前までは神流川上流域にまたがる郡であったが、その後の郡の再編によって緑野郡との事実上の境界線変更が行われ、昭和以降の現在の郡域が確定した。 古代には「甘良郡」として『続日本紀』和銅4年(711年)に登場する。韓からの渡来人が多く住んだことから、「から」が変化して「かんら」となったと考えられる。同年3月6日 - 一部の郡域から多胡郡が設置された(『続日本紀』巻5「三月辛亥割上野國(中略)片岡郡(中略)別置多胡郡」) 戦国時代、国峰城の小幡氏が、上杉氏・長尾氏・武田氏・後北条氏と主を変えながら活躍した。しかし後北条氏滅亡に伴い小幡氏は国峰から離れた。 小幡藩ではのちに明和事件が起こっている。幕末には下仁田戦争(上京する水戸天狗党と高崎藩兵との衝突)の舞台となった。
甘楽郡(第2次)
高崎市(吉井町岩崎・吉井町上奥平・吉井町下奥平・吉井町坂口)
富岡市
歴史
甘楽郡(第1次)
江戸時代頃 - 行田村が碓氷郡に移る。
所属町村の変遷は南甘楽郡#郡発足までの沿革、北甘楽郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、当郡域3町131村の支配は以下の通り。幕府領は関東在方掛の岩鼻陣屋が管轄。他にも寺社領が各村に散在。(3町109村)
後の南甘楽郡域(25村) - 幕府領
後の北甘楽郡域(3町109村) - 幕府領、上野小幡藩、上野七日市藩
慶応4年6月17日(1868年8月5日) - 新政府が岩鼻陣屋に岩鼻県を設置。幕府領・旗本領を管轄。
明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が小幡県、七日市県の管轄となる。
10月28日(1871年12月10日) - 第1次府県統合により、全域が群馬県(第1次)の管轄となる。
明治6年(1873年)6月15日 - 熊谷県の管轄となる。
明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により、熊谷県が武蔵国の管轄地域を埼玉県に合併して群馬県(第2次)に改称。当郡域は群馬県の管轄となる。
明治11年(1878年)12月7日 - 郡区町村編制法の群馬県での施行により、甘楽郡のうち神流川上流の25村の区域に南甘楽郡が、残部の5町92村の区域に北甘楽郡がそれぞれ発足。同日甘楽郡(第1次)廃止。
甘楽郡(第2次)1.富岡町 2.黒岩村 3.一ノ宮町 4.丹生村 5.高田村 6.妙義町 7.小坂村 8.西牧村 9.尾沢村 10.月形村 11.磐戸村 12.青倉村 13.下仁田町 14.馬山村 15.吉田村 16.高瀬村 17.額部村 18.秋畑村 19.小幡町 20.福島町 21.新屋村 22.岩平村 23.小野村(紫:高崎市 桃:富岡市 赤:甘楽町 橙:下仁田町 黄:南牧村 ?は近世の甘楽郡に含まれる地域)
昭和25年(1950年)4月1日 - 北甘楽郡が甘楽郡(第2次)に改称。