甘南備永資
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甘南備 永資(かんなび の ながすけ、生没年不詳)は、平安時代中期の官人官職右衛門少尉藤原道長の家人。
経歴

一条朝初頭の永延2年(988年中納言藤原道長の推挙によって、永資は省試に応試したが落第した。立腹した道長は従者に命じて試験官であった式部少輔橘淑信を拉致し、試験結果を改ざんするよう迫った[1][2]

長徳3年(997年)永資は右衛門少尉官職にあったが、強盗の首領・某丸等を捕縛[3]。さらに強盗の仲間を追捕するために、左衛門志・錦為信らと近江国に派遣されている[4]

永資の出自は明らかでないが、後年になると道長の家司に甘南備保資という名が現れることから、永資はこの保資の一族に相違なく、同様に道長の家人の一人だったと考えられる [5] [6]
脚注^ 『小右記』永延2年12月4日条
^ 汲古書院 1998, p. 83.
^ 『権記』長徳3年5月23日条
^ 『権記』長徳3年5月24日条
^ 有斐閣 1981, p. 17.
^ 読売新聞社 1972, p. 76.

参考文献

『大曽根章介日本漢文学論集 1』(
汲古書院、1998年、83p)

『講座源氏物語の世界』(有斐閣、1981年、17p)

『奈良から平安へ』(読売新聞社、1972年、76p)


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