数学における環(かん、英: ring)とは、台集合に「加法」(和)および「乗法」(積)と呼ばれる二種類の二項演算を備えた代数系のことである。
最もよく知られた環の例は、整数全体の成す集合に自然な加法と乗法を考えたものである(これは乗法が可換だから可換環の例でもある)。ただし、それが環と呼ばれるためには、環の公理として、加法は可換で、加法と乗法はともに結合的であって、乗法は加法の上に分配的で、各元は加法逆元をもち、加法単位元が存在すること、が全て要求される。したがって、台集合は加法の下「加法群」と呼ばれるアーベル群を成し、乗法の下「乗法半群」と呼ばれる半群であって、乗法は加法に対して分配的であり、またしばしば乗法単位元を持つ[注 1]。なお、よく用いられる環の定義としていくつか流儀の異なるものが存在するが、それについては後述する。
環について研究する数学の分野は環論として知られる。環論学者が研究するのは、(整数環や多項式環などの)よく知られた数学的構造やもっと他の環論の公理を満たす多くの未だよく知られていない数学的構造のいずれにも共通する性質についてである。環という構造のもつ遍在性は、数学の様々な分野において同時多発的に行われた「代数化」の動きの中心原理として働くことになった[1]。
また、環論は基本的な物理法則(の根底にある特殊相対性)や物質化学における対称現象の理解にも寄与する。
環の概念は、1880年代のデデキントに始まる、フェルマーの最終定理に対する証明の試みの中で形成されていった。他分野(主に数論)からの寄与もあって、環の概念は一般化されていき、1920年代のうちにエミー・ネーター、ヴォルフガング・クルルらによって確立される[2]。活発に研究が行われている数学の分野としての現代的な環論では、独特の方法論で環を研究している。すなわち、環を調べるために様々な概念を導入して、環をより小さなよく分かっている断片に分解する(イデアルを使って剰余環を作り、単純環に帰着するなど)。こういった抽象的な性質に加えて、環論では可換環と非可換環を様々な点で分けて考える(前者は代数的数論や代数幾何学の範疇に属する)。特に豊かな理論が展開された特別な種類の可換環として、可換体があり、独自に体論と呼ばれる分野が形成されている。これに対応する非可換環の理論として、非可換可除環(斜体)が盛んに研究されている。なお、1980年代にアラン・コンヌによって非可換環と幾何学の間の奇妙な関連性が指摘されて以来、非可換幾何学が環論の分野として活発になってきている。 最もよく知られた環の例は整数全体の成す集合 Z に、通常の加法と乗法を考えたものである。すなわち Z は所謂「環の公理系」と呼ばれる種々の性質を満たす。 整数の集合における基本性質加法乗法 乗法が可換律を満たすから、整数の全体は可換環である。 環とは、集合 R とその上の二つの二項演算、加法 +: R × R → R および乗法 ∗: R × R → R の組 (R,+,∗) で、「環の公理系」と呼ばれる以下の条件を満たすものを言う[3](環の公理系にはいくつか異なる流儀があるが、それについては後で触れる)。 が成り立つものをいう。乗法演算の記号 ∗ は普通省略されて、a ∗ b は、ab と書かれる。 よく知られた整数全体の成す集合 Z, 有理数全体の成す集合 Q, 実数全体の成す集合 R あるいは複素数全体の成す集合は通常の加法と乗法に関してそれぞれ環を成す。また別な例として、同じサイズの正方行列全体の成す集合も行列の和と乗法に関して環を成す(この場合の環としての零元は零行列、単位元は単位行列で与えられる)。 (中身は実際には何でもよいから)一元集合 {0} に対して、演算を0 + 0 = 00 × 0 = 0 で定めるとき、({0}, +, ×) が環の公理を満たすことはすぐに分かる(これを自明環という)。実際、任意の和も積もただ一つ 0 にしかならないので、加法や乗法が閉じていて分配律を満たすのは明らかであるし、零元も単位元もともに 0 であって、0 の加法逆元は 0 自身である。自明環は零環[注 3]の自明な例になっている。 公理的な取り扱いにおいて、文献によってはしばしば異なる条件を公理として課すことがあるので、そのことに留意すべきである。環論の場合例えば、公理として「環の乗法単位元が加法単位元と異なる」という条件 1 ≠ 0 を課すことがある。これは特に「自明な環は環の一種とは考えない」と宣言することと同じである。 もっと重大な差異を生む流儀として、環には「乗法の単位元の存在を要求しない」というものがある[4][5][6]。これを認めると、例えば偶数全体 2Z も通常の加法と乗法に関する環となると考えることができる(実際にこれは乗法単位元の存在以外の環の公理を全て満足する)。乗法単位元の存在以外の環の公理を満足する環は、しばしば擬環 (pseudo-ring) とも呼ばれ、あるいは多少おどけて(ring だけれども乗法単位元 i が無いからということで)"rng" と書かれることもある。これと対照的に、乗法単位元を持つことを強調する場合には、単位的環や単位環 (unital ring, unitary ring) あるいは単位元を持つ環 (ring with unity, ring with identity, rings with 1) などと呼ぶ[7]。ただし、非単位的環を単位的環に埋め込むことは常にできる(単位元の添加)ということに注意。 他にも大きな違いを生む環の定義を採用する場合があり、例えば、環の公理から乗法の結合性を落として、非結合環 集合 Z4 を数 0, 1, 2, 3 からなる集合とし、後に述べるような加法と乗法を定めるものとする(任意の整数 x に対して、それを 4 で割った余り x mod 4 の成す剰余類環)。 ・0123
定義と導入
原型的な例
演算の閉性a + b は整数a × b は整数
結合性a + (b + c) = (a + b) + ca × (b × c) = (a × b) × c
可換性a + b = b + aa × b = b × a
中立元の存在性a + 0 = a (零元)a × 1 = a (単位元)
反数の存在性a + (−a) = 0
分配性a × (b + c) = (a × b) + (a × c), および (a + b)× c = a × c + b × c
厳密な定義
加法群:(R, +) はアーベル群である
加法に関して閉じている:任意の a, b ∈ R に対して a + b ∈ R が成り立つ[注 2]。
加法の結合性:任意の a, b, c ∈ R に対して (a + b) + c = a + (b + c) が成り立つ。
加法単位元(零元)の存在:如何なる a ∈ R に対しても共通して 0 + a = a + 0 = a を満たす 0 ∈ R が存在する。
加法逆元(反元、マイナス元)の存在:各 a ∈ R ごとに a + b = b + a = 0 を満たす b ∈ R が存在する。
加法の可換性:任意の a, b ∈ R に対して a + b = b + a が成立する。
乗法半群:(R,∗) はモノイド(あるいは半群)である
乗法に関して閉じている:任意の a, b ∈ R に対して a ∗ b ∈ R が成り立つ[注 2]。
乗法の結合性:任意の a, b, c ∈ R に対して (a ∗ b) ∗ c = a ∗ (b ∗ c) が成立する。
乗法に関する単位元を持つ[注 1]。
分配律:乗法は加法の上に分配的である
左分配律:任意の a, b, c ∈ R に対して a ∗ (b + c) = (a ∗ b) + (a ∗ c) が成り立つ。
右分配律:任意の a, b, c ∈ R に対して (a + b) ∗ c = (a ∗ c) + (b ∗ c) が成り立つ。
自明な例
定義に関する注意
少しだけ非自明な例
任意の x, y ∈ Z4 に対して x + y は、それを整数と見ての和の mod 4。したがって Z4 の加法構造は、下に掲げた表の左側のようになる。
任意の x, y ∈ Z4 に対して x ? y は、それを整数と見ての積の mod 4。したがって Z4 の乗法構造は、下に掲げた表の右側のようになる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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