琴錦登
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琴錦 登


基礎情報
四股名琴錦 登
本名藤村 登
生年月日1922年3月7日
没年月日 (1974-07-14) 1974年7月14日(52歳没)
出身香川県観音寺市
身長177cm
体重120kg
BMI38.30
所属部屋二所ノ関部屋
得意技右四つ、寄り、とったり
成績
現在の番付引退
最高位東小結
生涯戦歴258勝256敗23休(45場所)
幕内戦歴188勝215敗23休(31場所)
優勝序二段優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵1938年1月場所
入幕1944年11月場所
引退1955年5月場所
備考
金星7個(照國1個、東富士2個、千代の山3個、羽黒山1個)
2014年3月5日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

琴錦 登(ことにしき のぼる、1922年3月7日 - 1974年7月14日 )は、香川県観音寺市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は藤村 登。身長177cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り、とったり。最高位は東小結。現役引退後は佐渡ヶ嶽部屋を興し、横綱琴櫻たちを育てた[1]
来歴

1938年1月場所初土俵1944年11月場所で新入幕してから1955年5月場所の引退まで幕内に連続31場所在位する。師匠玉錦譲りの速攻が身上で、右差し、左おっつけで一気に出る取り口が特徴の大物食いで知られた。時には立合いからとったりの奇襲を見せたりし、横綱千代の山を大の得意とし通算7勝8敗と互角に闘った[1]

1946年6月14日から、大阪市阿倍野橋において晴天11日間開催された大阪準本場所[注釈 1]で11戦全勝優勝[2]。本場所ではないので公式に優勝力士として認定されてはいないが、番付に影響しないこと以外は本場所と同列に扱われたので力士は本場所同様の真剣勝負を行なっており、その中での全勝は評価され名小結と呼ばれている。

引退後は、年寄佐渡ヶ嶽を襲名して二所ノ関部屋で後進の指導にあたるが、1955年9月、佐渡ヶ嶽部屋を興し、独立前からの内弟子だった大関琴ヶ濱、直弟子から横綱琴櫻関脇長谷川らを育てた[1]。自身の独立に際し苦労したが弟子の琴櫻が独立の意思を持っていると知った際は猛反対、内弟子を見つけると強引に自分の部屋に入門させたりもした(その中には後の大関琴風がいた)[3]

1974年7月場所前に琴櫻が引退。その直後に体調を崩し、帰京し、都内の病院に入院。琴櫻の引退からわずか10日後の7月14日に心筋梗塞で死去した[4]。佐渡ヶ嶽部屋は琴櫻が継いだ。

四股名の中にある琴は琴錦の地元にある琴弾八幡宮に由来する。
主な成績

通算成績:258勝256敗23休 勝率.502

幕内成績:188勝215敗23休 勝率.467

現役在位:45場所

幕内在位:31場所

三役在位:3場所(小結3場所)

三賞:1回

敢闘賞:1回 (1953年9月場所)


金星:7個(照國1個、東富士2個、千代の山3個、羽黒山1個)引退時まで最多記録を保持。

各段優勝

序二段優勝:1回 (1939年5月場所)


場所別成績

琴錦登 春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1938年
(昭和13年) (前相撲) x (前相撲) x
1939年
(昭和14年) 西序ノ口21枚目
4–3  x 東序二段35枚目
優勝
8–0 x
1940年
(昭和15年) 西三段目35枚目
5–3  x 東三段目15枚目
4–4  x
1941年
(昭和16年) 東三段目10枚目
5–3  x 西幕下34枚目
5–3  x
1942年
(昭和17年) 西幕下20枚目
3–5  x 東幕下22枚目
5–3  x
1943年
(昭和18年) 西幕下10枚目
6–2  x 東十両12枚目
9–6  x
1944年
(昭和19年) 西十両6枚目
10–5  x 東十両筆頭
6–4  東前頭17枚目
5–5 
1945年
(昭和20年) x x 西前頭8枚目
5–2  西前頭2枚目
3–7 
1946年
(昭和21年) x x x 西前頭6枚目
7–6 
1947年
(昭和22年) x x 東前頭3枚目
7–3  東張出小結
4–7 
1948年
(昭和23年) x x 東前頭3枚目


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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