琴似
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この項目では、札幌市西区にある地名について説明しています。札幌郡に所在した自治体としての琴似村・琴似町については「琴似町」をご覧ください。
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琴似
大倉山から見た琴似とその周辺
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度04分34.18秒 東経141度18分11.18秒 / 北緯43.0761611度 東経141.3031056度 / 43.0761611; 141.3031056
日本
都道府県 北海道
市町村 札幌市
行政区西区
人口(2017年(平成29年)1月1日現在[1]
 ? 合計17,431人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号063-0811?14
市外局番011[2]
ナンバープレート札幌

琴似(ことに)は、札幌市西区の地名。
地名の由来

もともと、現在の札幌都心部にあった多くの水系をアイヌ語で「コトニ(kotoni)」と総称しており、現在も北海道大学敷地内に保存されているサクシュコトニ川などの諸川が存在した[3]

この「コトニ(kotoni)」の原義は「コッネイ(kot-ne-i)」(窪地・になっている・もの)の意と考えられており、窪地の泉池から諸川が流れていたことを表していると考えられている[3]

現在の琴似地区は1872年(明治4年)開拓使が南4条の官用地に寄留していた農夫数軒を当地に移転させて、「琴似村」と命名し、加えて1875年(明治8年)に屯田兵が入植して「琴似兵村」を開村した経緯から、前述のコトニの地名が札幌都心部から移動して成立したもので、もともとは「チップトゥラシ(cip-turasi)」(舟・遡る〔川〕)と呼ばれていた[3]

現在、住居表示の上での「琴似」は、琴似1条1丁目から琴似4条7丁目まで存在し、該当する区域の旧地名は宮ノ下、本町、川添東、川添西である。しかし、旧琴似町に含まれていた八軒二十四軒山の手などの周辺地域も含めた広域地名として、「琴似」の名称を用いている場合もある(例:現在では八軒地区となった地域に所在する市立琴似中央小学校〔旧・琴似町の中心の意〕など)。
地理・地形

隣接している地区は、北はJR線を境に八軒、東は二十四軒、南は北5条手稲通(旧国道5号線)を境に山の手、西は琴似発寒川を境に発寒、北5条手稲通と琴似発寒川の交差地点の向かい側が旧手稲町である西町(旧手稲東)。札幌市西区役所庁舎

地域内にはJR北海道琴似駅札幌市営地下鉄琴似駅が存在するが、この2駅は直結しておらず、約800mの距離がある。両駅を結ぶ形で地域の中心を屯田兵村時代からのメインストリートである琴似本通(北海道道276号琴似停車場線琴似栄町通)が通っている。この通りを中心に、西区役所、消防署医療機関病院商業施設金融機関ホテルマンションなどが林立している商業地域であり、札幌市でも有数の繁華街である。また小路に入ると、古くからの民家も密集する住宅地でもある。

近年、大規模なマンションがいくつも建設され、またJR琴似駅周辺では再開発によって新しい商業施設が開業するなど、街並みが変化している。大型店・チェーン店の進出が徐々に進む一方で、閉鎖され空きテナントとなっているビルも見られるようになってきた。
歴史

1857年頃から徳川幕府が家来を「作男」として、琴似・発寒地区で開拓させていた。

1870年:開拓判官の島義勇が札幌の開拓に着手。

1872年開拓使が南4条の官用地に寄留していた農夫数軒を当地に移転させて、「琴似村」と命名[3]


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