琴ノ若晴將
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琴ノ若 晴將


基礎情報
四股名琴ノ若 晴將
本名鎌谷 満也(旧姓:今野)
愛称ワカ
生年月日 (1968-05-15) 1968年5月15日(56歳)
出身山形県尾花沢市
身長191cm
体重181kg
BMI49.61
所属部屋佐渡ヶ嶽部屋
得意技右四つ、寄り、上手投げ[1]
成績
現在の番付引退
最高位西関脇
生涯戦歴785勝764敗100休(130場所)
幕内戦歴608勝657敗84休(90場所)
優勝三段目優勝2回
殊勲賞2回
敢闘賞5回
データ
初土俵1984年5月場所[1]
入幕1990年11月場所[1]
引退2005年11月場所[1]
引退後佐渡ヶ嶽部屋師匠
他の活動日本相撲協会 理事(2期)
2022年3月 -
趣味テレビゲーム、書道
備考
金星8個(1個、貴乃花3個、若乃花2個、朝青龍2個)
202年3月25日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ、1968年5月15日 - )は、山形県尾花沢市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は鎌谷 満也(かまたに みつや、旧姓今野)[注釈 1]。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は西関脇1999年1月場所、3月場所)。身長191cm、体重181kg。引退後部屋を継承し、現在は年寄佐渡ヶ嶽。愛称はワカ、趣味はテレビゲーム、書道。美男子であり、女性ファンが多かった。血液型はB型。長男(一人息子)は琴櫻将傑(二代目琴櫻、前名:琴ノ若傑太)[1]
来歴

尾花沢市立尾花沢中学校入学時点で身長が180cm超を計測し、その体格を活かして柔道部員として県大会団体戦準優勝などの活躍を果たした。加えて砲丸投げに助っ人として駆り出されて山形県大会での6位入賞を果たすなどスポーツ万能の少年として尾花沢市内で話題となっていった。この話題を聞きつけた元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽はその3日後に勧誘を開始した。最初は周囲が反対し本人も断ろうとしたが、10回を超える訪問などの熱心な勧誘や「私に任せてください」という口説き文句に折れて入門した[2]1984年3月場所の新弟子検査を同じ佐渡ヶ嶽部屋の琴錦などと共に受検したが、緊張のあまり血圧が急上昇し不合格とされ初土俵が1場所遅れた。5月場所初土俵の同期生には小結浪乃花がおり、非常に仲が良いことで知られている。白鷹山の父とは中学時代に砲丸投げでしのぎを削っており、今野が6位入賞を果たした際に白鷹山の父は優勝を果たしている[3]

若い頃は大事な取組に弱く出世も遅れがちだったが琴錦の稽古台にされたことが幸いして力をつけ、1990年7月場所に新十両、2場所で通過し同年11月場所には新入幕を果たした。7勝8敗と負け越して跳ね返されたが(この翌場所の番付編成は非常に不可解で、新入幕時には幕内最下位でなかった琴の若(当時)は幕内残留が濃厚と見られていたにもかかわらず十両陥落となった)1991年3月場所再入幕、今度は9勝6敗と勝ち越して以後幕内に定着した。

1993年9月場所には新小結で8勝7敗、その後小結と平幕の往復が続く中1995年7月場所は2大関に勝ち初の三賞で敢闘賞。1996年3月場所は婚約効果か初日から7連勝し2大関に勝ち11勝で2回目の敢闘賞。7月場所には結婚効果か貴乃花の両横綱を撫で斬りにしダブル金星で9勝6敗、三賞(殊勲賞)を獲得した[1]。1998年7月場所は2日目から10連勝して11勝3回目の敢闘賞、9月場所は1横綱1大関に勝ち2回目の殊勲賞4個目の金星。1998年11月場所に小結で10勝5敗と勝ち越してやっと関脇に昇進。過去にも小結での勝ち越しはあったが番付運に恵まれず、2桁勝ってようやく同期生の琴錦に最高位で追いついた。

新関脇となる1999年1月場所も8勝7敗と勝ち越したが左膝の負傷で三役を明け渡し低迷。その後は三役に戻る事はなかった。それでも時折実力のあるところを示し横綱や大関を幾度か倒すなど地力のある所を見せ、その甘いマスクと伴って人気は衰えなかった。

しかし2000年3月、膝の半月板損傷の大怪我が致命傷になった。さらに2002年7月場所や2003年11月場所など膝の故障にはその後も何度も苦しまされ、晩年は4本ある膝の靱帯のうち3本が切れて1本しかなくなり、医者が「この膝でどうやって相撲を取るの?」と言うほどだった。半月板の故障も甚だしく、引退後の2012年3月ごろに病院に駆け込んだ際に発覚した事実について「ヒザの水を注射針で抜いているうちに半月板の欠片がどんどん流出し、ついには自然消滅した。医者には『親方、半月板無いですね。手術したんですか?』と問われた。」と語るほど悪い状態にあった。現在でも急な段差を下りると膝が外れるという。[4]それでも得意の上手を取れば全盛期同様豪快な上手投げも見せた。

末は横綱と思わせるほどの堂々とした体躯で素質は十分。大関昇進を期待されたが故障が多く実現できなかった。しかし本人は「もう1回三役に」を目標に取り続けた。攻めが遅く「ミスター1分」のあだ名を持っていた[1]。この特徴は速攻相撲には弱点になるが、一旦相手の速攻を止め水入りに近い大相撲になると「攻められ強く、しぶとい」という長所にもなる。実際水入りも史上最多の4度経験(1994年武蔵丸戦や2001年貴闘力戦など)した。


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