沖縄県の歴史(年表)
先
史
時
代(沖縄諸島)(先島諸島)
旧石器時代先島先史時代
(下田原期・無土器期)
貝塚時代
(流求?)
古
琉
球(天孫氏琉球)
グスク時代
原グスク時代
三山時代
(北山・中山・南山)新里村期
中森期
琉
球
王
国第一尚氏王統
第二尚氏王統
近
世(薩摩藩支配)
近
代琉球藩
沖縄県
戦
後アメリカ合衆国による沖縄統治
沖縄県
主な出来事
三山統一による琉球王国の成立(1429年?)
琉球王国による先島諸島征服(1500-22年)
琉球王国による奄美群島征服(1571年)
薩摩藩による琉球侵攻(1609年)
琉球藩設置(1872年)
琉球処分による沖縄県の設置(1879年)
琉球救国運動の展開(1870年代-95年前後)
沖縄戦(1945年)
琉球政府設立(1952年)
祖国復帰運動(1950-72年)
コザ暴動(1970年)
沖縄返還(1972年)
ナナサンマル(1978年)
普天間基地移設問題
関連項目
奄美群島の歴史
先島諸島の歴史
日本の歴史(時代区分)
カテゴリ - コモンズ
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琉球藩(りゅうきゅうはん)は、明治初期に現在の沖縄県を治めた藩。藩庁は首里城(沖縄県那覇市首里)。藩王は第二尚氏。 琉球藩の設置に先立って日本では全国的に1869年(明治2年)の版籍奉還により諸大名から天皇へ領地(版図)と領民(戸籍)の返還、さらに1871年(明治4年)の廃藩置県と、中央集権化が進んでいた。この時点ではまだ、琉球王国は薩摩藩および後身の鹿児島県の付庸国であり続けたが、明治政府としては琉球についても版籍奉還させることを意図していた。 廃藩置県の翌年の明治5年9月14日[注釈 1][1]、琉球国王尚泰は明治政府の命により尚健(伊江朝直)と宜野湾親方朝保を慶賀使として東京に送る。明治天皇により尚泰を「琉球藩王」に任じ、華族に列する詔勅を尚健が代理で受ける( 『琉球國王尚泰ヲ藩王トナシ華族ニ陞列スルノ詔』 明治政府側にとっては、琉球王国を日本の天皇が任ずる藩王が治める琉球藩とするものであり、その意味では琉球国王としての尚泰はこの時点(天皇より詔勅を下賜された明治5年9月14日付)で廃位されたものと解釈される。
概要
解釈