現生人類の拡散
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現生人類の拡散(げんせいじんるいのかくさん)では、ホモ・サピエンスが世界各地へ拡散した経緯について述べる。ホモ・サピエンスが誕生し、移動を始めたのはおおよそ30万年前であるといわれている[note 1][3]アフリカ単一起源説では、おおよそ7万年前から5万年前に東アフリカを発ったホモ・サピエンスが現世人類の祖であるとされており、現生人類がアフリカを出てアジア南沿岸経由で近オセアニア地域への移動を始めたのがおおよそ7万年から5万年前とされており(人類の南方地域への分散(英語版))、約4万年前までにヨーロッパ中に分散した。ただし、それ以前にもアフリカを出たホモ・サピエンスが存在する。イスラエルから19万4千年?17万7千年前のホモ・サピエンスの化石、ギリシャから約21万年前のホモ・サピエンスの化石が見つかっているが、いずれもそれ以前に定住していたネアンデルタール人との生存競争に敗れたと考えられている[4][5][6][7][3]

現生人類と旧人類の混血(英語版)によって、われわれ現生人類のゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数パーセント混入しているとされる[8][note 2]

最終氷期極大期以降、古北アジア人(英語版)はベーリング地峡を渡り、約2万年前に人類はアメリカ大陸に到達した。完新世に入ると、人類は北ユーラシア(1.2万年前)やグリーンランドカナダ北極圏地域(4千年前)といった極圏にも定住し始めた。そして、ポリネシアオーストロネシア人が人類として初めて到達したのは1千年紀のことである。アフリカ単一起源説による現代人類の拡散を表した図現生人類の拡散の概略図。図中の数字は千年前を表す。
早期の拡散
アフリカ全土への拡散「:en:Macro-haplogroup L (mtDNA)」および「:en:Archaeogenetics of sub-Saharan Africa」を参照

ホモ・サピエンスはおよそ30万年前にアフリカで現れたといわれている。この推定はモロッコのジェベル・イルードの地層で発見された、頭蓋骨及びその同年代のもの思われる複数の石器が熱ルミネセンス法での年代測定によって31.5±3.4万年前のものであると結論付けられたことによる[12][13]。これが出土する前は、1967年から1974年の間にエチオピアのオモ国立公園(英語版)で発掘されたオモ人骨(英語版)が最古のホモ・サピエンスであるとされており、この化石人類はおよそ20万年前のものであったために以前はホモ・サピエンスは20万年前に誕生したとされていた[14]。なお、1932年に南アフリカで出土したフロリスバッドの頭蓋骨(英語版)は25.9万年前のものと推定されるが[15][16][17][18]、ホモ・サピエンスであるかについては諸説ある。

コンピュータによって260枚のCTスキャン写真をもとに初期の現生人類の共通祖先の頭蓋骨の形状を決定したところ、現生人類の起源が26万年から35万年前に遡ることが示唆されている[19][20]

2019年の人類学者の報告によれば、ギリシャ南部のアピディマ洞窟(英語版)で21万年前のホモ・サピエンスの遺骨や17万年前のネアンデルタール人の遺骨が見つかった。これはこれまでにヨーロッパで見つかった最古のホモ・サピエンスの遺骨よりも15万年も古いものであった[5][6][7][3]

おおよそ20万年前の初期の現代人類はユーラシア西部から中央部へも拡散したが、ユーラシアでは旧人類との生存競争に敗れた[21][22]。他方、サブ・サハラ以南のアフリカでは初期の現代人類は旧人類によるアシュール文化の終焉(約13万年前)に寄与するほど繁栄した一方で、特に西アフリカでは1万2千年前まで旧人類と共存していたとされる[23]

現代のコイサン族の祖先は15万年前、一説では26万年前にアフリカ南部に拡散していた[note 3]海洋酸素同位体ステージ5期が始まる前の13万年前までには、コイサン族の祖先となるアフリカ南部のハプログループL0 (mtDNA)(英語版)の集団と、アフリカ東部からアフリカ中央部にいたマクロ・ハプログループL1-6 (mtDNA)(英語版)の集団(コイサン族以外の現生人類の祖)の2つの集団があった。12万5千年から7万5千年前にはハプログループL0の集団は東アフリカへ大規模に移動している[24]

ピグミーの祖先となる集団は6万年前まで(おそらく13万年前より以前)にはアフリカ中央部において拡散していた[25][26][27][28][29]

西アフリカでは見つかっている化石が少なく、アフリカの他の地域に比べて研究が難航している。13万年前にはサヘル地域に到達していたと推定されるが、西アフリカの熱帯地域では13万年前以前のホモ・サピエンスの化石は見つかっていない。 西アフリカではアフリカの他の地域に比べて比較的遅い完新世が始まるころまで中期石器時代(英語版)が続いて旧人類がこのころまで存在し、ホモ・サピエンスと混血したことが示唆されている[23]
北アフリカからの早期の拡散詳細は「:en:Northern Dispersal」を参照

ホモ・サピエンスは17万7千年前までにアフリカから出たとされており[21]、ホモ・サピエンスがレバントを経由してヨーロッパに到達したのは13万年前から11万5千年前であるとされている。

イスラエルのミスリヤ洞窟(英語版)では、約18万5千年前のホモ・サピエンスの顎骨の断片が見つかっている。同じ洞窟の25万-14万年前の地層からはルヴァロワ技法(英語版)による打製石器が見つかっており、この石器とホモ・サピエンスの顎骨とが関連付けられれば、人類がヨーロッパから出た時期がより早くなるような証拠となりうる[30][31]

早期にアフリカを出たホモ・サピエンスは永続的な定住にはつながらず、8万年前までにはホモ・サピエンスの分布は縮小し始めていた[22]。125,000年前には中国に到達していた可能性があるが、そうであれば現代人にゲノムの痕跡はなくこの集団は絶滅したと考えられることとなる[22]

現生人類は少なくとも125,000年前にはアフリカを出て、2つの経路でユーラシア大陸に拡散した。1つはナイル渓谷から中東に向かったという経路で、パレスチナには到達しており、ナザレ付近のカフゼ洞窟(英語版)では120,000?100,000年前の人骨が見つかっている[32]。もう一つの経路は海水面が低く現在より幅が狭かったバブ・エル・マンデブ海峡付近の紅海を横断し、アラビア半島を通って[33][34]、現在のアラブ首長国連邦インド大陸に至ったという経路である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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