現代自動車
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現代自動車株式会社
????? ????
Hyundai Motor Company

種類株式会社
市場情報KRX 005380LSE HYUDOTC Pink HYMTF
略称現代、ヒョンデ
本社所在地 韓国
06797
ソウル特別市瑞草区獻陵路12
設立1967年12月29日(現代モータース株式会社)
業種輸送用機器
法人番号9700150082809
事業内容自動車
代表者鄭夢九会長CEO
資本金1,488,993 Million Won (KRW)
(2018年12月31日時点)[1]
発行済株式総数213.668百万株
(2018年12月31日時点)[2]
売上高連結:96,812,609 Million Won (KRW)
(2018年12月期)[3]
営業利益連結: 2,422,165 Million Won (KRW)
(2018年12月期)[4]
純利益連結:1,645,019 Million Won (KRW)
(2018年12月期)[5]
総資産連結:180,655,752 Million Won (KRW)
(2018年12月末時点)[6]
従業員数71,504名
(2020年12月時点)
決算期12月末日
所有者現代自動車グループ
主要株主現代モービス 29.11%
関係する人物鄭周永(チョン・ジュヨン)(創設者)
外部リンクwww.hyundai.com
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現代自動車株式会社
各種表記
ハングル:????? ????
漢字:現代自動車 株式會社
発音:ヒョンデヂャドンチャ チュシックェサ
(ヒョンデ チャドンチャ チュシクフェサ)
日本語読み:げんだい じどうしゃ かぶしきがいしゃ
RR式:Hyeondae jadongcha jusikhoesa
MR式:Hy?ndae chadongch'a chusikhoesa
英語:Hyundai Motor Company
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現代自動車(ヒョンデじどうしゃ/げんだいじどうしゃ〈ハングル: ?????; ハンチャ: 現代自動車; RR: Hyeondae Jadongcha  発音を試聴〉、通称ヒョンデ〈: Hyundai, ハングル: ??; ハンチャ: 現代; RR: Hyeondae, IPA: [?hj??nd?]〉; KRX: 005380)は、大韓民国最大手の自動車メーカー。ソウル特別市に本社を置く。2023年の世界販売台数は高級車ブランドのジェネシス、傘下のKIAを合わせた現代自動車グループでは約730万4,000台で、トヨタグループ、フォルクスワーゲングループに次ぐ世界第3位である。かつて日本では「ヒュンダイ」として知られていたほか、国により発音が違ったため、世界規模でのブランドイメージ統一のため、2020年から世界統一で韓国語発音の「ヒョンデ」という呼称に変更された。

ヒョンデ自動車が蔚山で稼働させている世界最大の総合自動車製造工場は、年間160万台の生産能力を持っている。同社は全世界で約7万5000人を雇用しており、ヒョンデ車は約6000の販売店とショールームを通じて世界193カ国で販売されている。
歴史
20世紀1974年から1990年10月25日まで使用されたコーポレートアイデンティティ(CI)。CI変更直前の頃になると、「車両のエンブレムは新型(2015年現在のそれ)、CMテロップのCIは旧型」と言う状況も発生していた。
その1:スクープ・ターボでの例
その2:エクセルでの例創業後初めてノックダウン生産したフォードコーティナ。この写真のモデルが右ハンドルなのは、オーストラリア仕様モデルである為。ポニー

1967年現代財閥(現代グループ)創業者の鄭周永が創立。翌年、米国フォードより技術供与を受け、「フォード・コルチナ」のノックダウン生産を開始。その後、現代自動車は、小型車の開発をめぐってフォードとの技術供与関係に軋轢が生じたため、独自モデルの開発に踏み切ることとした。提携相手探しは難航したが、最後に訪問した三菱自動車が現代自動車の要望を聞き入れたため、小型車生産のための車体やエンジン、ギアなどの生産技術供与契約を締結し、技術確保の手段を獲得する[注釈 1][7]1973年には、自社での自動車開発のためブリティッシュ・レイランドより招き入れたジョージ・ターンブル主導の下、複数の著名なイギリス人エンジニアも加わり、三菱自動車からの生産技術供与も相まって、1975年に韓国初の国産車「ポニー」を発売した(デザインはジウジアーロ、エンジン・プラットフォームは初代ランサーのものを流用)[7]。このポニーから海外での販売も開始し、1984年からカナダで一時期ベストセラーとなった。一方、アメリカでは厳しい排出規制をクリアできず販売されなかった。ポニーの発売以降も、三菱自動車との提携を継続し、三菱自動車が韓国自動車産業の基盤技術を提供したと評されるほどの技術供与を受けた[7][8]デボネアデリカパジェロザ・グレートエアロバスなどの数多くの三菱車ベースの車種や、三菱車のプラットフォームを流用し続け今の自動車会社としての地位を得る。1978年には三菱重工業と技術導入契約の下、自動車専用工作機械の製造を開始し、競争力を高めた[9]1985年には累計生産100万台を突破。アメリカ合衆国へは1986年に進出し、小型乗用車エクセル1車種の販売から開始された。エクセルはフォーチュン誌により「Best Product #10」に選ばれた。受賞の主な要因としては値ごろ感が挙げられている。1988年販売のソナタでは、現代自動車の独自技術を用いるようになった。1990年、累計生産400万台を突破。1991年には独自のガソリンエンジンであるαエンジンと、トランスミッションの開発に成功。1996年、インドにヒュンダイ・モーター・インディアを設立、チェンナイ近郊に自動車生産工場が建設された。1998年より現代自動車を世界的ブランドに押し上げるためのイメージ一新策を開始。1999年アジア通貨危機で経営破綻した起亜自動車を傘下に収め、現代-起亜自動車グループ(現代自動車グループ)が成立した。

1999年には鄭夢九が現代自動車グループのトップになり、品質、デザイン、長期的な研究開発への重点的な投資が行われた。10年間、10万マイルの保障など積極的なマーケティングキャンペーンがアメリカで開始された。

創立時より周永の弟・鄭世永が社長を務め、1999年まで会長・名誉会長であった。1970年に入社した夢九は叔父の下で勤務し、現代グループ子会社各社へ出向し社長を歴任する。夢九は1996年に現代グループ会長となり、1997年からのアジア通貨危機の後、1999年より現代自動車会長に就任した。1988年に入社した世永の子・鄭夢奎(大韓サッカー協会会長、元FIFA理事)は1996年より現代自動車会長であったが、経営権を本家の夢九に譲り渡し、以後の世永親子は独自に現代産業開発(HDC)グループを率いている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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