現代美術
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「女性と鳥」(Dona i Ocell、ジョアン・ミロ作)、クレラー・ミュラー美術館蔵)

現代美術(げんだいびじゅつ、英語: Contemporary art)または現代アート、コンテンポラリー・アートとは、歴史の現代を借りた用語で、美術史における今日、すなわち20世紀後半の第二次世界大戦後の1950年以降から21世紀までの美術を指す[1]

現代美術家たちは、世界的にお互いに関連した状況で、文化的には異なった環境で、しかも技術的には先進的な世界で作品を作っている。画題の本質を新鮮な目で見て、新しい方法で実験を行った時代である。彼らの芸術画材、方法、コンセプト、主題の常に変化する動的な組み合わせであり、それは20世紀には既に始まっていたものである。その背景として、19世紀以前の芸術は教会や裕福なパトロンに支えられて制作されており、作品を見るものが導かれるような指導的な役割りを担う、宗教的・神秘的な物語が描かれることが多かったが、産業革命以降は、芸術家はパトロンのためではなく、自身の個人的な経験や視点での制作が可能になったことがあげられる[2]
理論の重要性

現代美術は、それが芸術だと認識することが困難な場合が多々ある。芸術の領域で活動している人々の間でさえ、芸術か芸術ではないかという区別は難しく、自分が芸術の領域に立ち入っていることに気がつかない場合もある。その場合、芸術だと認識する手段つまり、芸術とそれ以外を区別するものとして理論の存在が挙げられる。アメリカの分析哲学者、アーサー・ダントーは論文「アートワールド」において、「そもそも芸術を可能にすることも、理論が持つ効用の一つである。そうした本来の理論をもたなかったグラウコンをはじめ他の対話者たちは何が芸術であり、なにがそうでないかについて知ることはほとんどできなかったのである」と述べている[3]

一般的な用語としては、日本語でも英語でも、現代美術(Contemporary art)はその以前の近代美術(Modern art)と同義語として使われることも多いが、ここでは時代の移り変わりを表すために敢えて区別して使っている。「近代美術と現代美術」も参照
現代美術に影響を与えた動向

この項目は現代美術の動向を理解するために、現代美術のターム以前のものでなおかつ強く現代美術に影響を与えたものを中心に、年代に関係なく動向ごとにまとめています。

主義(Ism)

表現主義(Expressionism)
自然などの表象を描かずに、内面や感情を表出させる表現。1911年に表現主義の概念が芸術動向を表わすものとして、ドイツを中心に使用されはじめた[4]。後の、1940年代終わりにアメリカで始まった抽象表現主義を始めとして、現在に至る多くの絵画表現に影響を与える主義。

印象主義(Impressionism)

新印象主義/新印象派(neo-impressionism)
1886年に批評家のフェリックス・フェネオンがつけた語、印象派の色彩理論を科学的に推進し、点描画法による鮮明な色彩表現や、フォルム、画面の造形的秩序の回復を目指した一傾向[5]

後期印象主義/ポスト印象派(Post-Impressionism)

キュビズム(仏:Cubisme)

ルネサンス以来の「単一焦点による遠近法」を放棄し、形態上の極端な解体・単純化・抽象化した絵画の動向。1907年、ピカソの『アビニヨンの娘たち』(Les demoiselles d’Avignon)が最初の作品と言われている。

象徴主義(Symbolism)
1870年頃のフランスとベルギーに起き、ヨーロッパ各地、アメリカ、ロシアに広まった文学運動および芸術運動。文学はシャルル・ボードレールの『悪の華』(1857)に起源を求められる。シュルレアリスムにも影響を与える

ナビ派
ヘブライ語の預言者(ナビ)を意味する、フランスで始まった1888年にゴーギャンらに触発された世代の絵画運動

新造形主義(Neoplasticism)
従来の具象美術と対比させ、「新しい造形」(抽象絵画・非具象絵画)の特質を示した。ピート・モンドリアンが、抽象美術・抽象芸術(非具象美術・非具象芸術・抽象絵画)の理論化のために主張した美術理論

デ・ステイル(De Stijl)
1917年にテオ・ファン・ドースブルフがオランダのライデンで創刊した雑誌とグループ名

リージョナリズム(Regionalism)
1930年代のアメリカン・シーン・ペインティングの具象的な動向。地域主義、地方主義[6]

主義(Ism)

フォーヴィズム/野獣派(Fauvism)
芸術家の主観的な感覚を表現した絵画群に対して、1905年にパリの批評家ルイ・ボークセルが「あたかも野獣(フォーヴ、fauves)の檻の中にいるようだ」と評したことから命名された。

未来派/フトゥリズモ(伊:Futurismo)
1909年、イタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが「暴力論」に影響され「未来主義創立宣言」をした破壊的な行動を讚美する前衛芸術運動。1920年代からはファシズムと結びつき、活動の終盤には「退廃芸術」とイタリア国家から活動を制限される。ロシア構成主義や、ダダイズムなどの前衛芸術に影響を与える。

ダダイスム(仏:Dadaisme)
第一次世界大戦の1910年代半ば、ヨーロッパやアメリカで、同時多発的に発生。1916年にトリスタン・ツァラが命名、1918年にチューリッヒでツァラにより第2宣言がされた。

シュルレアリスム(surrealisme)
1924年、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが「口頭、記述、その他のあらゆる方法によって、思考の真の動きを表現しようとする純粋な心的オートマティスム。理性による監視をすべて排除し、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取り」と定義した『シュルレアリスム宣言』を発表。

社会主義リアリズム(Socialist realism)

ロシア・アバンギャルド(Russian avant-garde)

レイヨニスム
1912年から1914年に生じた絵画を主としたロシア・アバンギャルドの一派

シュプレマティスム
1913年から生じた絵画を主としたロシア・アバンギャルドの一派

ロシア未来派
1912年にペテルブルクの詩人グループ「ギレヤ」が「未来人」を意味するロシア語「ブジェトリャーニン(будетлянин/budetljanin)」を名乗ったのが始まり

ロシア構成主義(Constructivism)

1915年頃にロシアのウラジーミル・タトリンとアレクサンドル・ロトチェンコによって設立された抽象芸術[7]

技法や運動(movement)

フィギュラティヴ・アート(Figurative art)
16世紀ごろから見られる対象を具体的(リプレゼンテーショナル)に描写する技法や運動[8]

アーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts movement)
1880年代にイギリスから始まり、北米・ヨーロッパ諸国・東アジア、また日本の民藝運動にも影響を与えた造形芸術の運動[9]

アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)、フランス

ユーゲント・シュティール(Jugendstil) 、オーストリア

スティーレ・リバティ(Liberty style (Italian: Stile Liberty) )、イタリア

モデルニスモ(Modernismo)、スペイン

民藝運動、日本


メキシコ壁画運動
1920年代から1930年代にかけてメキシコ革命下のメキシコ合衆国で起こった絵画運動

その他

バウハウス(Staatliches Bauhaus)
1919年にドイツのワイマールで開校した総合芸術の思想を持った学校で、1933年にナチスドイツにより閉鎖[10]

ブラック・マウンテン・カレッジ(Black Mountain College)
1933年に閉鎖されたバウハウスから多くの人々がアメリカに移り、同年にジョン・アンドリュー・ライス(John Andrew Rice)らにより設立された実験的な大学。資金難により1957年に閉鎖[11]

ウィーン学派(Vienna School of Art History)
美術史を科学的に分析して理解するメソッドを確立した学派。1910年にチェコの美術史家のヴィンツェンツ・クラマーシュが初期

アール・ブリュット
1945年にジャン・デュビュッフェが提唱。のちのアウトサイダー・アートやプリミティブ・アートへ影響を及ぼす

アーティスト・ブック(Artist's book)
本の形態をした芸術作品。詩人のウィリアム・ブレイク(1757?1827)に起源を遡れるが、ロシア・アバンギャルドダダ構成主義未来派フルクサスなどの前衛芸術運動の中で多く制作された

現代美術ムーブメント年表

この項では、現代美術の動向やグループを基本的に始まった年代ごとにまとめていますが、年代が不明なものや意味が変わったものは、動向などが盛り上がった/変化の見られた年代に分類しています。


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