珠瑠美
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たま るみ
珠 瑠美
本名小谷 瑠美 (こたに るみ・出生名)
木俣 瑠美 (きまた るみ・結婚後)
別名義珠 るみ
珠 ルミ
木俣 瑠美
生年月日 (1949-01-15)
1949年1月15日(75歳)
出生地 日本 東京都世田谷区烏山町
血液型A型
職業女優映画監督脚本家
ジャンル劇場用映画成人映画日活ロマンポルノ
活動期間1965年 -
配偶者木俣堯喬
著名な家族小谷春勇 (父)
谷身知子 (妹)
和泉聖治 (継子)
渡辺公夫 (叔父)
事務所プロダクション鷹
主な作品
出演
『新・団地妻 売春グループ13号館』(1975年)監督
『熟女スワップ 獣ように』(1994年)
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珠 瑠美(たま るみ、1949年1月15日 - )は、日本の女優映画監督脚本家[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]。出生名は小谷 瑠美(こたに るみ)[1][2][3][4][11]木俣堯喬との結婚後本名は木俣 瑠美(きまた るみ)[2]。珠 るみ、珠 ルミとクレジットされた作品もある[13]プロダクション鷹取締役、代表取締役を歴任した[17][18]
人物・来歴
姉妹の女優

1949年(昭和24年)1月15日、東京都世田谷区烏山町(現在の同区烏山)に生まれる[1][2][3][4][11]。父は戦前に日活大将軍撮影所小道具係であり、戦後も東映東京撮影所連合映画撮影所で装飾部として活動した小谷春勇[1][19](小谷春男[20])、叔父が大映撮影技師・渡辺公夫(1918年 - 1983年)[3]、兄がのちに東映照明部に在籍しており[3]、2歳下の妹がのちに女優なる谷身知子(1951年 - )である[1][2][3][21]

1964年(昭和39年)4月、府立十二中を前身とする伝統校であった東京都立千歳高等学校(2002年3月閉校)に入学する[1]。二年次在学中の満16歳とき、1965年(昭和40年)9月に公開された独立系成人映画『裸女山脈』(監督川合茂貴)の主演に抜擢され、珠 るみとクレジットされて映画界にデビューした[1][3][4][13]。同年11月に公開された可能かづ子主演作『禁じられた肌』(監督武田有生)でも助演、珠 ルミの表記でクレジットされている[1][13]。1967年(昭和42年)3月、同高校を卒業した[1][4]。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、珠についての言及はない[22]。デビューは1965年という黎明期といえる時期であるが、確かに田中が同書で同様に挙げている映画作家の作品には出演してはいない[1][4][8][9][10][11][12][13][16]。デビューは早いが、年齢的には1967年デビューの谷ナオミ(1948年 - )、青山リマ(1949年 - )、真湖道代(1949年 - )、あるいは1968年(昭和43年)デビューの芦川絵里(1949年 - )と同世代である。1968年には、妹の谷身知子が「邦かほり」の名で美矢かほるの主演作『人生?劇場 壺あらそい』(監督小川欽也)に出演、同年には姉を追う形で映画界にデビューした[9]。1969年(昭和44年)5月に公開された珠の主演作『情事のあと始末』(監督酒匂真直)には妹(邦かほり)も共演[23]、1970年(昭和45年)1月に公開された『性の売買』(監督葉山隣)では珠瑠美・邦かほりの二枚看板でポスター展開した[24]

1971年(昭和46年)3月2日に公開された『好色痴女』に主演[16]、同作の監督である木俣堯喬のプロダクション鷹に入社、同作で共演、すでに前年に「谷身知子」と改名して同社に入社していた妹とともに同社の専属女優になる[1][16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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