王逸(おう いつ、生没年不詳)は、後漢の官僚・文人。『楚辞』の注釈者として知られる。字は叔師。本貫は南郡宜城県。 元初年間、上計吏に挙げられ、校書郎となった。順帝のとき、侍中となった。『楚辞章句』を著し[1]、当時に通行した。かれによって著された賦・誄・書・論および雑文は合わせて21篇あった。また漢詩123篇を作った。また『正部論』[2]や『斉典』[3]を編纂した。また文集が編纂された[4]。 子の王延寿[5]は字を文考といい、若くして魯国に遊んで「霊光殿賦」を作ったが、後に二十数歳で溺水死した。
経歴
脚注^ 『隋書』経籍志四に「楚辞十二巻并目録。後漢校書郎王逸注」とあり、「後漢の校書郎の王逸が屈原以下劉向にいたるまでを集めた。王逸はまた自ら一篇をつくり、叙とあわせてこれを注した」とする。
^ 『隋書』経籍志三に「梁に王逸正部論八巻があった。後漢の侍中の王逸の撰」とある。
^ 『隋書』経籍志二に「斉典五巻王逸撰」とあり、『旧唐書』経籍志上に「斉典四巻王逸志」とあり、『新唐書』芸文志二に「斉典四巻」とある。
^ 『隋書』経籍志四、『旧唐書』経籍志下および『新唐書』芸文志四に「王逸集二巻」とある。
^ 『隋書』経籍志四に「王延寿集三巻」とある。
伝記資料
『後漢書』巻80上 列伝第70上
更新日時:2019年4月26日(金)01:59
取得日時:2020/10/04 11:28