この項目では、プロ野球選手について説明しています。この野球選手にちなんで命名された小惑星については「王貞治 (小惑星)」をご覧ください。
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王 貞治2023年12月2日、台北ドームで同年のアジア野球選手権大会に向けて開催された始球式にて
基本情報
国籍 中華民国
出身地 日本
東京府東京市本所区
(現:東京都墨田区)
生年月日 (1940-05-20) 1940年5月20日(83歳)
身長
体重177 cm
79 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション一塁手
プロ入り1959年
初出場1959年4月11日
最終出場1980年10月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
早稲田実業学校
読売ジャイアンツ (1959 - 1980)
監督・コーチ歴
読売ジャイアンツ (1976 - 1988)
福岡ダイエーホークス
福岡ソフトバンクホークス (1995 - 2008)
日本代表 (2006)
野球殿堂(日本) 殿堂表彰者
選出年1994年
選出方法競技者表彰
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発音記号
標準中国語
漢語?音Wang Zh?nzhi
通用?音Wang2 Chen1-chih4
国語ローマ字Wang Jenjyh
注音符号??? ????
日本語
漢字 王 貞治
王 貞治(おう さだはる、繁体字: 王 貞治; ウェード式: Wang Chen-chih〈ワン・チェンジー〉、1940年5月20日 - )は、東京府東京市本所区(現:東京都墨田区)出身の元プロ野球選手(内野手、左投左打)・監督。中華民国籍。愛称は「世界の王」「ワンちゃん」[1]。
福岡ソフトバンクホークスの取締役会長、日本プロ野球名球会顧問、球団特別アドバイザーを務める[2]。 中島治康、野村克也に次ぐNPB史上3人目・セ・リーグ初の三冠王達成者。世界記録となるレギュラーシーズン通算本塁打868本を記録し、読売ジャイアンツのV9に貢献した。シーズン四球(158個)、シーズン敬遠(45回)、シーズン出塁率(.532)、シーズンOPS(1.293)、通算得点(1,967点)、通算塁打(5,862塁打)、通算打点(2,170打点)、通算四球(2,390個)、通算敬遠(427回)、通算出塁率(.446)、通算長打率(.634)、通算OPS(1.080)のNPB記録保持者。ウラディミール・バレンティン、村上宗隆に次ぐNPB史上歴代3位のシーズン最多本塁打記録保持者(55号、NPBのアジア人としては村上に次ぐNPB史上歴代2位)。NPB最多記録となる本塁打王を15回、打点王を13回、最多出塁数(現在の最高出塁率)を12回を獲得、NPB最多記録となる最優秀選手を9回受賞している。セ・リーグ最多記録となるベストナインも18回受賞している。またセ・リーグ初の最多出塁数を獲得、セ・リーグ初の一塁手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞している[3]。 国民栄誉賞受賞者第1号(現在でも外国籍での唯一の受賞者)であり[4]、2010年10月26日には文化功労者として顕彰された。殿堂入りレリーフ 「一本足打法(世界のフラミンゴ)」と呼ばれる独特の打法で通算本塁打数、当時のシーズン本塁打数のNPB記録を打ち立てるなど[5]、長嶋茂雄とともにON砲として強大な打力でチームに貢献し[6]、巨人の「V9」時代の顔として人気を誇った。王の記録したシーズン公式戦通算本塁打868本はNPB最多記録であり、ハンク・アーロンが保持していた当時のMLB通算本塁打記録の755本塁打を抜いたことで知られるほか[注釈 1]、数々のNPB記録を保持する(記録の詳細については後述)。 現役引退後は巨人、ダイエー・ソフトバンクで監督を歴任した。2008年シーズン終了と同時にソフトバンクの監督を退任し、同球団取締役最高顧問に就任。2009年1月1日より取締役会長。2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシックでは日本代表監督を務め、優勝へ導いた。2009年の第2回大会では監督相談役、2013年の第3回大会では特別顧問[7]を務めた。
概要