王菲
[Wikipedia|▼Menu]

王 菲
フェイ・ウォン
フェイ・ウォン(2011年)
基本情報
中国語王 菲
漢語?音Wang F?i
粤?Wong4 Fei1
出身地 中華人民共和国 北京市
生誕 (1969-08-08) 1969年8月8日(54歳)
国籍 中華人民共和国
別名夏林 (Xia Lin)
王靖?
英語名Shirley Wong
Faye Wong
職業歌手女優
ジャンルC-POPロック
レーベル

Cinepoly(英語版)
EMI (1997-2001)
ソニーBMG (2003-)
活動期間1989年 ? 2005年
2010年 -
配偶者竇唯 (1996 ? 1999)
李亜鵬 (2005 ? 2013)
子供2人
影響者テレサ・テンコクトー・ツインズ
受賞

香港電影評論学会大奨
最優秀女優賞
2003年『天下無雙』
金曲奨
最佳國語女歌手獎
2004年「將愛」
その他の賞
ストックホルム国際映画祭
最優秀女優賞
1994年恋する惑星


テンプレートを表示

王 菲
各種表記
繁体字:王 菲
簡体字:王 菲
?音:Wang F?i
ラテン字:WongC Fei@
発音転記:ワンフェイ
英語名:Faye Wong
テンプレートを表示
王菲

王 菲(フェイ・ウォン、Faye Wong、1969年8月8日 - )は、中国出身の香港歌手女優
経歴

1969年8月8日、 北京協和医院生まれ。生まれた当時は母の姓を取り「夏林(.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Xia Lin, シィア・リン)」と名づけられたが、14歳のとき、父の姓を取り「王菲」と改名。高校で歌を始め、北京で数本のカセットテープを発売した。

高校を卒業後香港へ移住。当初は海外へ留学するための経由地として香港へ移住したが、新しくやって来た移民は1年間香港から出国することが出来ない制度があったため、留学を断念し歌を習い始める。その歌の先生に勧められ、シネポリー・レコードのオーディションを受け、合格。1989年に王靖?(Shirley Wong(シャーリー・ウォン))の名で歌手デビューを果たす。当時のキャッチフレーズは“北京からやってきた女の子”。3枚のアルバムを発表したが、大きなヒットもなく、香港の音楽業界のシステムに馴染めなかった彼女は、1991年から1992年までの約半年間アメリカ合衆国に留学する。

シネポリー・レコードとの契約が1枚残っていた彼女は、1992年香港に戻り、アルバム 『Coming Home』を制作、発表。この時、英語名を本名に近いFaye Wongと改名。『Coming Home』の収録曲 「容易受傷的女人」(邦題:「傷つきやすい女」、中島みゆきが作詞・作曲をし、ちあきなおみに提供した「ルージュ」のカヴァー)は爆発的ヒットを記録、その年の香港の音楽賞を総なめにした。1994年には初めて母語である北京語のアルバム 『迷』(邦題:恋のパズル)を発表。台湾東南アジアへの進出を果たした。同年に中文名を本名の王菲にし、それ以降本名で活動している。

主な活動拠点は香港で、ギネスブックにも「広東語のアルバム累計売り上げ」で世界一と認定されている[1]。中国語圏のみならずアジア圏を代表する歌手の一人ともいわれ、愛與痛的邊?など大ヒット曲にも恵まれ、香港では第二のテレサ・テンとも呼ばれる。

日本では、主演した映画『恋する惑星』がミニシアターでロングラン上映となる大ヒットをしたことにより、まず女優として一躍知名度を上げた。その後、プレイステーションゲームソフトファイナルファンタジーVIII』の主題歌「Eyes On Me」や、関西方面でJ-PHONE(現SoftBank)のキャラクターを務めた事、フジテレビ系のテレビドラマウソコイ』に主演し主題歌「Separate Ways」を歌ったことでも知られる。特に「Eyes On Me」は50万枚の売り上げを記録し、オリコン総合シングルチャート最高位9位(洋楽チャートでは19週連続1位)を記録。第14回日本ゴールドディスク大賞では洋楽部門のソング・オブ・ザ・イヤーを、第41回日本レコード大賞ではアジア音楽賞を受賞した。また1999年3月には、日本国外を拠点としている中国人アーティストとしては初めて日本武道館でコンサートを行った(大陸中国人以外としては、当時イギリス統治下香港出身のアグネス・チャンが1978年に行っているのが初)。

私生活では、1996年中国のロックバンド「黒豹(中国語版)」の元ボーカル、竇唯(ドウ・ウェイ)と結婚し、長女の竇靖童(リア・ドウ)[2][3]をもうけたが、1999年に離婚。その後香港の俳優で歌手、11歳年下のニコラス・ツェー(謝霆鋒)と交際していたが2003年末に破局[4]2005年に中国の俳優、リー・ヤーポン(李亜鵬)と再婚した。

リー・ヤーポンと再婚した後は仕事をセーブしていたが2010年に復帰。2006年5月に出産した次女の李嫣(リー・イエン)が重度の口唇裂であったことを公表、同じ障害に苦しむ貧しい子供たちの為の『嫣然天使基金』を(当時の)夫と共に立ち上げ、話題になった。2013年9月にリー・ヤーポンとの離婚を発表。
ディスコグラフィー詳細は「zh:王菲音樂作品列表」を参照
オリジナルアルバム
Cinepoly Records

1989年『王靖?』 - 日本盤未発売

1990年『Everything』 - 日本盤未発売

1990年『You're the Only One』 - 日本盤未発売

1992年『Coming Home』

1993年『悔やまぬ心で(原題:執迷不悔)』

1993年『十万回のなぜ(十萬個為什麼)』

1994年『恋のパズル(迷)』

1994年『夢遊(胡思亂想)』

1994年『天空』

1994年『背影(討好自己)』

1995年『マイ・フェイヴァリット(菲靡靡之音)』 - テレサ・テントリビュート・アルバム

1995年『Di-Dar』

1996年『アンサイティー(浮躁)』 - 『胡思亂想』にカバー曲を収録したのが縁で、イギリスロックバンドコクトー・ツインズから2曲プロデュースを受けている(「分裂」と「掃興」)。

EMI Records

1997年『フェイ・ウォン(王菲)』- 収録曲「人間」は中島みゆきが提供した楽曲(作詞は
林夕)。中島も後に自身のアルバム『わたしの子供になりなさい』で「清流」とタイトルを変え、そして日本語詞を自ら書きセルフカバーしている。また「娯樂場」はコクトー・ツインズが提供した楽曲である(作詞は林夕)。

1998年『チャン・ヨウ?歌あそび?(唱遊)』

1999年『ラヴァーズ・アンド・ストレンジャーズ(只愛陌生人)』

2000年『フェイブル(寓言)』

2001年『光の翼(王菲)』

Sony Records

2003年『將愛』 - 日本盤未発売

浮躁音樂

2015年『敷衍』 - 日本盤未発売

ミニアルバム

1993年『如風 Autumn Version』 - 日本盤未発売

1994年『Faye Disc』 - 日本盤未発売

1995年『一人分飾兩角』 - 日本盤未発売


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:49 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef