王芬
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王 芬(おう ふん、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家。
目次

1 生涯

2 脚注

2.1 注釈

2.2 引用元


3 参考文献

生涯

冀州刺史であったが、中央の腐敗や内訌を見て許攸周旌らを誘い、霊帝を廃して合肥侯を擁立するクーデターを計画した[1]

王芬が曹操をクーデターに誘おうとすると、曹操は伊尹霍光呉楚七国の乱の故事を持ち出して、これを拒絶した。また華?・陶丘洪も誘われた。陶丘洪は計画に加わろうとしたが、華?に「王芬の計画は失敗する。そうなれば君は一族まとめて死罪になる」と言われたため、加わるのを止めたという。

果たして計画は未遂に終わり、王芬は自殺することになった[1]
脚注
注釈
引用元^ a b 中国『三国志全人名事典』、P38

参考文献

中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』(
徳間書店, 1994年11月


更新日時:2016年6月7日(火)09:33
取得日時:2019/06/13 22:11


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