王立取引所(おうりつとりひきじょ、英: Royal Exchange)は、イギリスの首都ロンドンの中心部シティ・オブ・ロンドンのコーンヒル地区にある取引所である。1565年にトーマス・グレシャムによって設立された。2001年に大規模改修され現在はオフィス、ブティック、レストランを備えた商業施設として使われている。第I級指定建造物に指定されている。 1563年、アントワープとの貿易が盛んなロンバード街の豪商トーマス・グレシャムは、適当な場所を提供してくれるなら自費でロンドンに取引所を建ててもよい事を市に提案した[1]。グレシャムは取引所の設立を指揮するにあたり、建物のレイアウトなどを世界初の商用取引所であるアントワープ取引所を参考とした。他にもアムステルダム、ロッテルダム、ミデルブルフなどの取引所も参考にしている。 1567年の設立当初、ロンドン王立取引所の呼称も「ブルス」(フランス語: Bourse、取引所の意味)であったが、この名称は1570年1月23日にエリザベス1世が訪問した際に変更され、英語で「王立取引所」(Royal Exchange)と呼ばれるようになった[2][3]。17世紀までは商品の取引だけ行われており、株式仲買人は王立取引所に入ることが許されておらず、ジョナサンズコーヒーハウス 現在の王立取引所の建物は、ウィリアム・タイトの設計によるものである。商人や貿易商が商売をするための中庭を囲む4面体の構造という当初のレイアウトを忠実に再現しており、1837年にエドワード・イアンソンが設計した内部工事は、近代的な建設方法であるコンクリートを使用している[6]。リチャード・ウェストマコットのペディメント彫刻とヘンリー・グリセルの鉄細工が特徴である。1844年10月28日にヴィクトリア女王によって開館されたが、実際に取引が開始されたのは1845年1月1日であった[7]。 建物の西端の8本のコリント式円柱の上に、リチャード・ウェストマコット作のロンドン商人と外国人貿易商を表す17人のレリーフ彫刻が施されたペディメントがある。中央の像は商業を表し、像の下には旧約聖書に収められた詩篇集の第24篇の一節THE EARTH IS THE LORD'S AND THE FULNESS THEREOF と刻まれた碑文がある[8]。また、フリーズの部分にはラテン語でAnno XIII. Elizabethae R. Conditvm; Anno VIII. Victoriae R. Restavratvm と彫られている。 王立取引所の正面広場には、フランシス・レガット・チャントリーの遺作となった初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの像がある。この像に使われた銅は、政府から寄付されたもので、ナポレオン戦争で接収されたフランスの大砲から採取されたものである。ワーテルローの戦いの記念日である1844年6月18日に、ザクセン国王フリードリヒ・アウグスト2世の立会いのもとで除幕された[8]。 ウェリントン像と王立取引所の間には、第一次世界大戦中のロンドン市・郡に関係する軍隊の死者を追悼するロンドン部隊記念碑
歴史
初代の取引所
2代目の王立取引所 1683年
コーンヒルから見た王立取引所 1781年
18世紀末の取引所内部
焼失する直前の取引所
現在の建物
後方からの空撮写真
1階平面図
2階平面図
構造
ポーチとペディメントペディメントの彫刻
日本語訳:地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである
モニュメントロンドン部隊記念碑詳細は「ウェリントン公爵騎馬像 (旧王立取引所前)」を参照
王立取引所の東側の小道にはロイター通信社を設立したポール・ジュリアス・ロイターと、後のJPモルガン・チェースとなったピーポディ・モルガン商会を設立したジョージ・ピーボディの像が建っている。
黄金のバッタ時計塔の上にバッタが見える。
時計塔の最先端に付いている黄金のバッタは風見であると共に、創設者トーマス・グレシャムの紋章でもある。