王立アイルランド警察隊
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王立アイルランド警察隊

略称RIC
組織の概要
設立1836
解散1922
後継機関アイルランド治安防衛団アイルランド自由国
王立アルスター警察隊(北アイルランド
管轄
国家機関グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国
活動管轄グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国

王立アイルランド警察隊の管轄地域
面積84,421 km2
一般的性格

地域文民警察

地域文民機関



王立アイルランド警察隊(英語: Royal Irish Constabulary、略称RIC。アイルランド語: Constablacht Rioga na hEireann)は、19世紀初頭から1922年までアイルランドにおける英国の武装警察部隊だった。首都を取り締まっていた非武装のダブリン警視庁(英語版)やデリーベルファストの独自の警察隊のような独立した市民当局の警察隊は後に王立アイルランド警察隊の中で特別な地区を担当することになる[1]。王立アイルランド警察隊の約75%はローマカトリックで、約25%が様々なプロテスタント宗派であった。カトリック教徒は主に巡査で、プロテスタント教徒は警官であった。英愛条約の結果として、王立アイルランド警察隊は1922年に解散され、アイルランド自由国ではアイルランド治安防衛団(ガルダ)に、北アイルランドでは王立アルスター警察隊(英語版)に任が引き継がれた。
歴史王立アイルランド警察隊の騎馬分隊の記章

アイルランドで最初の組織化された警察隊は、主にロバート・ピール[2](1788-1850)が1814年に制定した治安維持法によって作られた (口語名「ボビー」と「ピーラー」は彼の名前ロバート・ピールに由来)[3]。また、1822年に制定されたアイルランド警察法により、地方の警察隊が形成された[1]。1822年のこの法律によって、ダブリン城にあったイギリスのアイルランド総督府の統制下にある巡査部長を伴って各地域[1]の警察隊が組織された。 1841年までにこの警察隊の構成員の数は8600人を超えていた。元の警察隊は、1836年法の下で再組織化された。1837年に制定された最初の警察法では規則は厳しく、賃金は低かった。警察はアイルランドの農村部の貧困層の間での市民の不穏な状況に直面しており、十分の一税戦争の対立にも巻き込まれた。他の場所では地主や彼らの財産、貯蔵を襲うリボンメン(Ribbonmen)のような組織に対抗していた。

1843年の連合法撤廃を喚起するためにダニエル・オコンネルによって開かれた「モンスター・ミーティング」や、1848年にウィリアム・スミス・オブライアンにが主導した青年アイルランド党の反乱の最中に起きた、市民の騒乱とアイルランドの独立騒動の鎮圧において、新しい警察隊は活躍をした。しかしながら1849年のいわゆるドリーズブラエの戦い(分派によるデモを抑制する政党行列法を制定するきっかけとなった)において暴力行為を阻止し損なった。これから比較的穏やかな期間が訪れた。

1858年に成立したアイルランド共和主義者同盟の登場は、武装蜂起の計画をもたらした[4]。直接的な行動は1867年フェニアン党の反乱によって始まった。フェニアンは孤立した警察の営舎や小さな部署を襲撃した。しかしこの反乱は無慈悲なまでの警察隊の能力によって鎮圧された。警察はフェニアンに密告者を潜入させていた[5]。この反乱におけるアイルランド警察隊の成功により、警察隊はヴィクトリア女王から報償を与えられた。1867年[1]には、ビクトリア女王は、警察隊に「王立」の接頭辞と、彼らの制服の装飾に最高勲章である聖パトリック勲章を使用する権利を授けた。その後、王立アイルランド警察隊は国中の一般犯罪の著しい減少を取り仕切るようになった。秘密結社や非合法的な武装集団によって特徴付けられる19世紀初頭の農村の不穏を効果的に取り締まった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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