王皇后
東晋の皇后
在位升平5年9月14日[1] - 興寧3年1月16日
(361年10月29日 - 365年2月22日)
全名王穆之
別称哀靖皇后
出生不詳
死去興寧3年1月16日[2]
(365年2月22日)
埋葬安平陵
配偶者哀帝
氏族太原王氏
父親王濛
母親爰氏
兄弟王修、王蘊
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王 穆之(おう ぼくし)は、中国東晋の哀帝司馬丕の皇后。本貫は太原郡晋陽県。 父は司徒左長史の王濛。母は爰氏。 琅邪王司馬丕に嫁ぎ、妃(正室)となった。司馬丕が即位すると、升平5年(361年)9月、皇后に立てられた。興寧3年正月庚申(365年2月22日)、崩じた。靖と諡された。 姪(王蘊の娘)の王法慧は孝武帝の皇后になった。
生涯
脚注^ 『晋書』巻8, 哀帝紀 升平五年九月戊申条による。
^ 『晋書』巻8, 哀帝紀 興寧三年正月庚申条による。
伝記資料
『晋書』巻32 列伝第2 后妃下
表
話
編
宣穆張皇后* / 景懐夏侯皇后* / 景献羊皇后* / 文明王皇后* / 武元楊皇后 / 武悼楊皇后 / 恵賈皇后 / 恵羊皇后 / 懐王皇太后* / 懐梁皇后
東晋
元敬虞皇后* / 明穆?皇后 / 成恭杜皇后 / 康献?皇后 / 穆章何皇后 / 哀靖王皇后 / 廃帝孝?皇后 / 簡文宣鄭太后* / 簡文順王皇后* / 孝武文李太后* / 孝武定王皇后 / 安僖王皇后 / 恭思?皇后
*:追封皇后・皇太后