この項目では、世界の王政復古について説明しています。日本の王政復古については「王政復古 (日本)」をご覧ください。
王政復古(おうせいふっこ、英語: restoration)は、共和制や武家支配などによって支配の座を追われていた君主制が再び旧体制を復活させることを指す[1]。通常はイングランドにおける共和政崩壊後のチャールズ2世の即位、フランスにおけるナポレオン1世没落後のルイ18世の即位、日本の明治維新、以上三つのいずれかを指すことが多い[1]。
ヨーロッパ
イギリス(イングランドおよびスコットランド)詳細は「イングランド王政復古」を参照
ジェームズ1世
エリザベス チャールズ1世
ゾフィー チャールズ2世 メアリー ジェームズ2世
ジョージ1世 ウィリアム3世 メアリー2世 アン
(ハノーヴァー朝)
1642年にイングランドで清教徒革命が起こった。革命の指導者オリバー・クロムウェルは1649年にチャールズ1世を処刑し、王政が廃止された。議会派はクロムウェルを護国卿に任命したが、その死後に護国卿を継承した子のリチャード・クロムウェルには政治力が無く、自ら辞任を申し出た。そのため、議会はチャールズ1世の子チャールズ2世に王権を返還し、1660年にステュアート朝が復活した。
フランス詳細は「フランス復古王政」、「フランス第一帝政」、および「フランス第二帝政」を参照
アンリ4世
ルイ13世
ルイ14世 (オルレアン公)
フィリップ1世
ルイ
ルイ(スペイン王)
フェリペ5世
ルイ15世(スペイン・ブルボン朝)
ルイ
ルイ16世ルイ18世シャルル10世
ルイ17世 (オルレアン朝)
ルイ・フィリップ
1792年8月10日、フランス革命政府は国王ルイ16世を逮捕し王権を停止。翌1793年に国民公会がルイ16世の処刑を議決しギロチンで処刑した。以降フランスは共和政となった。
軍人であったナポレオン・ボナパルトは、革命後の混乱と武功を背景に、ブリュメール18日のクーデターによって統領政府の第一統領として実権を掌握。1804年5月の元老院決議、同年11月の国民投票を得て「フランス人民の皇帝」としてボナパルト朝を開闢した(フランス第一帝政)。1812年のロシア戦役での大敗により転機が生じ、第六次対仏大同盟の前に大敗を喫し、1814年3月のパリ陥落に至る。ナポレオン1世はフォンテーヌブロー条約によって退位し、エルバ島へ追放された。
諸外国の利害の不一致や内外の混乱を前に、シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール元外相の画策により、ルイ16世の弟ルイ18世が1814年憲章を公布してブルボン朝を復興した。