王子製紙苫小牧工場
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王子製紙苫小牧工場
王子製紙苫小牧工場の煙突(2008年4月)
操業開始1910年9月 (1910-09)[1]
場所 日本 北海道苫小牧市
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度38分05秒 東経141度35分23秒 / 北緯42.63472度 東経141.58972度 / 42.63472; 141.58972座標: 北緯42度38分05秒 東経141度35分23秒 / 北緯42.63472度 東経141.58972度 / 42.63472; 141.58972
業種パルプ製紙業
生産品新聞用紙、印刷・情報用紙
従業員数512人[1]
敷地面積146.1ヘクタール (1.461 km2)
住所北海道苫小牧市王子町2-1-1
所有者王子製紙王子ホールディングス

王子製紙苫小牧工場(おうじせいしとまこまいこうじょう)は、北海道苫小牧市にある王子製紙工場1910年明治43年)の操業以来、王子製紙の中核工場としてパルプからまで一貫生産体制を行っている[1]

王子製紙では唯一苫小牧工場のみが新聞用紙の生産を続けており[2]、日本国内需要の約25%を供給している[1]。また、単一工場としては世界最大規模の新聞用紙生産工場になっている[1]

工場内の複数の施設が「苫小牧市の製紙関連遺産」として経済産業省の「近代化産業遺産[3]、工場の塀に広がる植物が「王子製紙苫小牧工場の塀の花」として「未来にのこしたい日本の花風景『池坊 花逍遥100選』」に選定されている[4][5]
設備

KP 製造設備 (630 t/D)
[1]

TMP 製造設備 (760 t/D)[1]

RGP 製造設備 (190 t/D)[1]

DIP 製造設備 (1,950 t/D)[1]

GP 製造設備 (400 t/D)[1]

PGW 製造設備 (190 t/D)[1]

抄紙機 (8台、3,623 t/日)[1]

水力タービン (13台、40,350 kW)[1]

ボイラー (7台、1,490 t/H)[1]

蒸気タービン (13台、267,550 kW)[1]

歴史

王子製紙1873年明治6年)設立の「抄紙会社」に始まり、1876年(明治9年)に商号を「製紙会社」と変更、1893年(明治26年)に創業地の名を冠し「王子製紙」と改称した[6]。苫小牧工場建設の背景は、日露戦争後に急増した新聞需要と経営が悪化した会社の命運を懸けた生き残り策であった[7]。苫小牧を建設地に選んだのは、支笏湖が背後にあるため水力発電に必要な水量が豊富にあること、原材料の入手に不自由しないこと、広大な用地を安価で購入できることなどが理由であった[7]。1908年(明治41年)から関連工事が始まり、千歳川水系で6カ所、尻別川水系で2カ所の水力発電所を建設し[7]、工場の建築資材や原木を運ぶ軽便鉄道王子軽便鉄道苫小牧軽便鉄道)を運用して人や物を輸送した[7]。1910年(明治43年)の苫小牧工場操業は会社の生産量を跳ね上げ、日本国内のシェアを伸ばした[7]。また、工場の操業は苫小牧の発展にも大きく影響を及ぼしている[8][9][10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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