王子検車区
[Wikipedia|▼Menu]

王子検車区(おうじけんしゃく)は、東京都北区にある東京地下鉄(東京メトロ)の車両基地南北線の車両が所属している。最寄り駅は王子神谷駅。王子5丁目にある区立神谷堀公園下に建設された。
概要

1991年平成3年)11月29日に王子車両区として発足し[1]1996年(平成8年)3月15日に王子検車区と名称変更した[2]

従来、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の保守部門は検車区と整備工場に分かれていたが[1]、南北線初期開業時には1つの車両基地で検車業務と工場業務、2つの業務を担当することから「車両区」の名称を使用した[1]。計画時点では、神谷橋留置線または神谷橋車両基地と呼ばれていた[3][4]

次に述べる計画変更から、北区立神谷堀公園の地下に建設された[5]。車両基地の建設時には開削工法によって建設するため、営団地下鉄が全面的に占用したが、完成後は神谷堀公園として復旧している[6][5]。車両基地の大部分は地下にあるが、地上部には地下鉄王子ビルと車両搬入庫がある[5](後述)。

また、本検車区は営団が新設したものとしては初の地下車両基地である[2][7]

敷地面積:地上部の総合事務所2,830.0 m2(延床面積3,562.76 m2)[5]

地下2階延床面積:9,385.0 m2・地下3階延床面積:10,263.2 m2(延床面積:19,648.2 m2[5]


車両留置能力:40両(8両編成×5本)[8]

車両基地の最大延長は約 389 m、最大掘削幅は約 53 m、最大掘削深さは地下約24 mである[9]

当初計画

南北線最初の計画では、岩淵町(現在の赤羽岩淵駅)から南西方向に向かい、東京陸軍兵器補給廠(TOD)専用線跡(現在の赤羽緑道公園など)を引き込み線(延長2.2 km)として経由して、北区西が丘3丁目にある国立西が丘サッカー場横の敷地(旧TOD第一地区)に車両基地を建設する計画であった[注 1][10][11]。引き込み線の途中、桐ケ丘(北区赤羽台・法善寺墓苑付近[12])には駅を設ける予定であった[12]

しかし、住民の大きな反対運動が起こり、計画場所は移転して陸上自衛隊武器補給処十条支処赤羽地区跡地(旧TOD第二地区) 約33,000 m2 に、地下2層構造・230両収容の大規模な車両基地(整備工場を含む)を建設する方針となった(現在は赤羽自然観察公園となっている場所)[注 2]。詳細は「東京メトロ南北線#西が丘車両基地計画と反対運動」を参照

最終的には、現在の神谷堀公園下に建設することになった[5]。この反対運動は、営団地下鉄への路線免許交付を中断させ、南北線の建設に大きな影響を与えた[13]

また、本車両基地の収容不足を補うため、市ケ谷駅付近の地下に市ケ谷留置線が建設されることになった[2]。同じく計画中止となった工場については大規模検査を千代田線綾瀬工場で実施することで対処した。
沿革

1986年昭和61年1月6日 - 神谷橋留置線(現・王子検車区)工区の土木工事開始[14]

1991年平成3年)

7月1日 - 南北線開業準備のため、王子車両区準備事務所が発足[1]

7月17日 - 王子車両区へ9000系車両の陸送・搬入を開始[15]

11月29日 - 南北線初期区間の開業に合わせて王子車両区が発足[15]


1996年(平成8年)3月15日 - 南北線四ツ谷延伸開業を控え、王子検車区に組織変更[15]。工場業務を綾瀬工場に、車輪転削業務を和光検車区に移管[8]

2001年(平成13年)4月 - 車両清掃ならびに一部の列車検査を王子検車区から、また車輪転削業務を和光検車区から埼玉高速鉄道に委託先変更[16]

2007年(平成19年) - 長野電鉄から里帰りした日比谷線3000系車両の復元工事を実施[17]

施設
地上部

車両基地の上部には南北線の総合事務所として「地下鉄王子ビル」が設けられ、同ビルには王子運輸区(南北線運転士が所属・現在は王子神谷運転事務室に改称[18])、王子検車区の事務所、南北線工務区(現在は半蔵門線・南北線工務区王子神谷分室に改称[18])、南北線電気区(現在は南北線電機区・南北線信通区に改称[18])の設備を収容している[5]。同ビルは地上5階、地下1階構造としている[5]。なお、全線開業時に王子運輸区に加えて、白金高輪駅に白金高輪運輸区(現在は白金高輪運転事務室に改称[18])が新設されている[19]

隣接して地上から地下へ車両を搬入するための「車両搬入庫」が設けられている[5]。現在は車両搬入は行われていないが、資機材の搬出入口として使用している[9]。ただし、車両基地のレイアウトに制約があり、地上から車庫線のある地下3階には直接搬入はできず、地上の上部車両搬入口から地下2階へ下ろし、さらに下部車両搬入口を通して地下2階から地下3階に下ろす構造となっている[5]。それぞれの車両搬入口には、15 t 天井走行クレーンを2基備えている[4]

南北線最初の開業時(駒込駅 - 赤羽岩淵駅)には、営団地下鉄(当時)の他路線との接続がないことから、9000系試作車・1次車は製造メーカーの川崎重工業から甲種車両輸送により綾瀬検車区に搬入し[2]、受取検査・整備等を実施し、千代田線で性能確認試運転を実施した[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef