玉造郡(たまつくりぐん)は、宮城県(陸奥国・陸前国)にあった郡。 1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、大崎市の一部(岩出山各町および鳴子温泉、古川大崎、古川新田、古川南沢、古川清水)の区域にあたる。なお、同年に大崎市鳴子温泉鬼首を栗原郡から編入した。 『続日本紀』によれば、和銅6年(713年)12月2日に丹取郡が新設され[1]、神亀5年(728年)には丹取軍団が玉作軍団と改称した[2]とある。これらの記事から、この頃に丹取郡が分割されて玉造郡などが成立したと考えられている。当時の玉造郡域は、天平五柵の一つ玉造柵 10世紀前半に成立した『和名類聚抄』には、府見郷・玉造郷・信太郷・余戸郷の4郷が玉造郡に属したとある。 宮城県第3大区(全13小区。志田郡・遠田郡・玉造郡10?11・加美郡)
郡域
歴史
近世以降の沿革
幕末の時点では陸奥国に所属し、全域が仙台藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点に存在した村は以下の通り。(1郷20村)
岩出山本郷、南沢村、伏見村、新田村、磯田村、成田村、名生村、上真山村、下真山村、葛岡村、鳴子村、大口村、名生定村、鵙田村、上宮村、下宮村、上一栗村、下一栗村、上野目村、下野目村、三丁目村
明治元年
9月24日(1868年11月8日) - 仙台藩主伊達慶邦が薩長軍に降伏。全領土62万石を没収される。
12月7日(1869年1月19日) - 陸奥国が分割され、本郡は陸前国の所属となる。
12月12日(1869年1月24日) - 伊達亀三郎(慶邦の子)に旧領のうち28万石が与えられ仙台藩が復活。本郡は仙台藩領となる。
明治4年
7月14日(1871年8月19日) - 廃藩置県により仙台県(第1次)となる。
11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により一関県の管轄となる。
12月13日(1872年1月22日) - 一関県が水沢県に改称。
明治5年4月9日(1872年6月10日) - 大区小区制施行。
明治8年(1875年)
10月17日[3] - 以下の各村の統合が行われる。(1郷13村)
大崎村 ← 名生村、伏見村
上山里村 ← 上真山村、葛岡村
下山里村 ← 下真山村、磯田村
清水村 ← 成田村、三丁目村
池月村 ← 鵙田村、上一栗村、上宮村、下宮村
11月22日 - 水沢県が磐井県に改称。
明治9年(1876年)
4月18日 - 第2次府県統合により宮城県の管轄となる。
11月 - 区の再編により、志田郡・遠田郡・加美郡と共に宮城県第1大区となる。
小区所属村
小10区岩出山本郷・大崎村・清水村・新田村・南沢村・下野目村
小11区池月村・下一栗村・上山里村・下中里村・上野目村・鳴子村・大口村・名生定村