玉泉園(ぎょくせんえん)は、石川県金沢市に所在する池泉回遊式庭園である。園内には金沢最古の茶室・灑雪亭(さいせつてい)や裏千家寒雲亭の写しの茶室がある。
江戸時代初期に加賀藩士、脇田直賢から4代、約100年かけて脇田邸に作庭された。庭の名前は前田利長の正室玉泉院に因む。この地方の都市部としては珍しいミズバショウが自生する。明治初期に脇田家が移住した後、数回の転売を経て西田家に渡り、長く非公開であったが、昭和46年(1971年)から公開された。1959年11月灑雪亭露地が金沢市の指定文化財として、1960年5月に全庭が石川県の指定名勝として指定されている。
目次
1 庭園の仕組み
1.1 玉泉園
1.2 灑雪亭露地
1.3 玉澗流庭園と玉泉園
2 ギャラリー
3 周辺施設
4 外部リンク
庭園の仕組み
玉泉園 主庭池と寒雲亭
玉泉園は総面積約2370平方メートル(約720坪)。兼六園の樹木を背景とし、山畔崖地を利用した上下二段式の池泉回遊式庭園で、作庭は加賀藩大小将頭であった脇田直賢の代(江戸時代初期)に着工され、四代九右衛の代(江戸時代中期初頭)にわたって完成されたもので、本庭・西庭・東庭の三庭から成る。庭園内に茂る巨木類は作庭以前から茂っていたと伝えられている。玉泉園の名は、加賀二代藩主前田利長の令室玉泉院からとったもので、作庭者脇田直賢は同夫人の配慮によって妻をめとり、脇田家を創設したという由縁がある。また、池泉の水源を兼六園の徽軫灯籠(ことじとうろう)付近の曲水から引いている事実は、作庭者と藩主との親交が深かったことを物語っている。 本庭最上段の灑雪亭露地は面積約570平方メートル(約173坪)、慶安四年(1651年)三代藩主利常に招かれ御茶頭として仕えた千仙叟宗室 玉泉園の築庭が、全国に六例が確認されるだけで、幻の様式とされる『玉澗流』で行われていることが判明している。「玉澗」は中国南宋時代の画僧、芬玉澗のこと。僧は多くの絵を後世に残しているが、元禄七年(1694年)に京都で刊行された「古今茶道全書」の第五巻(後に独立して出版された「諸國茶庭名蹟圖會」)の巻末に三枚の山水図が掲載されている。(刊行の時期は脇田家三代当主直長
灑雪亭露地
玉澗流庭園と玉泉園
ギャラリー
裏千家・寒雲亭写しの茶室
松平家伝来手水鉢
隠れキリシタン灯篭 ウィキメディア・コモンズには、玉泉園
周辺施設
兼六園
金沢大学附属特別支援学校
外部リンク
公式サイト - ⇒西田家庭園 玉泉園
⇒かなざわ玉泉邸
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座標: 北緯36度33分50.0秒 東経136度39分50.5秒 / 北緯36.563889度 東経136.664028度 / 36.563889; 136.664028
更新日時:2016年11月17日(木)11:24
取得日時:2018/11/16 07:05