玉村町
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たまむらまち 
玉村町
火雷神社

玉村町旗玉村町章
玉村町旗玉村町章

日本
地方関東地方
都道府県群馬県
佐波郡
市町村コード10464-7
法人番号1000020104647
面積25.78km2

総人口35,341人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度1,371人/km2
隣接自治体前橋市高崎市伊勢崎市藤岡市
埼玉県本庄市児玉郡上里町
町の木モクセイ
町の花バラ
玉村町役場
町長[編集]石川眞男
所在地370-1192
群馬県佐波郡玉村町大字下新田201番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度18分16秒 東経139度06分54秒 / 北緯36.30442度 東経139.11492度 / 36.30442; 139.11492座標: 北緯36度18分16秒 東経139度06分54秒 / 北緯36.30442度 東経139.11492度 / 36.30442; 139.11492
玉村町役場町庁舎位置
外部リンク公式ウェブサイト

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玉村町(たまむらまち)は、群馬県南部にある佐波郡に属するである。

古くは日光例幣使街道宿場町で知られた。

群馬県南部の諸地域と同様に、冬は「からっ風」(空っ風)と呼ばれる強い北風の影響により寒く、夏は暑い。
地理

群馬県南部に位置し、南を烏川で画され、町の北部を利根川が、町の中央を滝川が流れる。全域が平野部であるが、南部の烏川流域が沖積低地であるのに対し、北部の利根川流域は洪積台地である。町の中心地はかつて例幣使街道の宿場町であった大字下新田である。人口は県内の町村としては大泉町に次ぐ。佐波郡に属する唯一の自治体である。
町内を流れる主な河川

利根川烏川、滝川、藤川

隣接する自治体

群馬県

前橋市

高崎市

伊勢崎市

藤岡市


埼玉県

本庄市

児玉郡上里町

※ただし両市町とも、直接行き来できる橋や渡船等は存在しない


歴史
町村制施行当時の町村

佐波郡

旧・那波郡

玉村町 ← 下新田村、福島村、南玉村、上飯島村、上之手村、角淵村および西群馬郡上新田村、与六分村、斎田村

芝根村 ← 下之宮村、箱石村、川井村、沼之上村、飯倉村、小泉村、後箇村、上茂木村、下茂木村

上陽村 ← 山王村、中内村、東善養寺村、西善村、飯塚村、藤川村、樋越村、上福島村



群馬郡

旧・西群馬郡

滝川村 ← 上滝村、下滝村、滝村、西横手村、中島村、宿横手村、下斎田村、宇貫村、八幡原村、板井村



沿革

町村制施行前

玉村町域において「ムラ」造りが始まったのは4世紀初頭のことである。玉村町では143基の古墳が確認されており、形態や副葬品から大和政権との繋がりが指摘されている[1]律令制のもとでは那波郡佐味郷と鞘田郷が置かれており、12世紀に入ると寄進地系荘園・玉村御厨が成立、伊勢神宮に寄進されている[2]。鎌倉時代に入ると玉村御厨の荘官玉村氏が上野国の守護安達氏のもとで活躍した。室町幕府のもとで関東管領に就任した上杉氏が上野国の守護となったがその勢力が衰えると、北条氏康上杉謙信武田信玄の間で上野の領有が争われるようになり、それら勢力の境にあった玉村も戦乱に揺れることとなった[3]。100年にも及んだ戦乱によって江戸開幕の頃には大いに荒廃した。代官伊奈忠次によって「代官掘」の呼ばれる用水路が引かれ、「新田」と呼ばれる集落が中心部に作られた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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