玉座
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典型的な西洋式玉座の絵。座具は壇上に設置され、その上には天蓋がある。

玉座(ぎょくざ、: throne)とは、国家の君主国王皇帝など)のためにある座具のこと。日本においては、天皇の玉座である高御座京都御所紫宸殿)が有名である。抽象的な意味では、玉座が君主制王権そのものを指すこともある。
概要カナダ上院にある、カナダ国王としてのエリザベス2世エディンバラ公フィリップ(後方)の玉座。議会の開始の際は通常、カナダの総督とその配偶者が玉座に座っている(前方にある椅子は上院議員の発言者が使用する)。

人類史の大部分にわたって社会集団は権威主義体制、特に絶対君主制独裁体制の下で統治されており、国家元首たちによって様々な玉座が生み出される結果となった。それはアフリカ等の地域にあるスツールから、ヨーロッパ・アジア地域の華やかな椅子やベンチのようなデザインに至るまで範囲も様々である。

常にではないものの、玉座はその国家や民衆が持っている哲学的あるいは宗教的なイデオロギーと結びついていることが多く、そのことが在位している君主の下で人民を統治すると共に、玉座にいる君主をかつて玉座に座っていた先代君主と結びつけるという二重の役割を果たしている。そのため、一般的に玉座の多くは、その土地にとって価値が高く大切な物とされる発見の難しい希少な素材でできていたり製造されている。玉座の大きさについては、国家権力の道具として大規模かつ華やいだデザインになる事もあれば、デザインに貴重な素材が何も無かったり殆ど盛り込まれていない象徴的な椅子の場合もある。

宗教的意味で玉座という用語が使われることがあり、これは世界の多くの一神教多神教において、彼らが崇拝する神々がその席(神座)に座するという信念を指している。こうした信念は古代にさかのぼり、現存する芸術作品や、玉座に座った古代の神(オリュンポス十二神のような)を論じる文書に見ることができる。主要なアブラハムの宗教ユダヤ教キリスト教イスラム教)では神の御座(Throne of God)が宗教的聖典と教えの中で裏付けされている。なお、キリスト教の宗教儀式では、教皇司教のための座席に関しても玉座(Throne)という用語を使っている[1]

歴史における政治潮流の変化はいくつかの絶対君主政権と独裁政権の崩壊をもたらし、多くの玉座が空位になったが、玉座という椅子の重要性から中国の龍椅などその国の旧政権を物語る歴史の遺物として多くの玉座が今も残っている。
古代

古代から玉座は君主と神々のシンボルとされていた。椅子に腰かける君主および神の描写は、古代オリエントの美術表現の共通主題である。

玉座(英語throne)の語源は、ギリシャ語のθρ?νο? (thronos)が由来で、「座席・椅子」を意味する[2]。足置き台のついた椅子で格調高いものではあったが、権力を暗示したりはしない普通の椅子だった。さらに遡るとインド・ヨーロッパ祖語の*dher- が根源で、その意味は「支えること」(またはダルマ教における「職位、犠牲の柱」)である。

玉座(漢字)の語源は、古代中国の戦国時代における有力諸侯がみな王号であるなか、中華統一を果たした?政が諸国の王の上にある称号として「皇帝」を名乗った。この「皇」という文字が「王の上部に玉飾を加えている形で、上部(白)が玉の光輝を示す形」を表したものであり[3]、王よりも地位の高い皇帝の着座する席が「玉座」になったとされている(始皇帝の座席に、実際に玉が象眼でがちりばめられていたからとの説もあり)。

ホメロスによると、アカイア人は、神々が望むときにいつでも座れるよう、宮殿や寺院に空席の玉座を設けることが知られていた。最も有名なもののは、アミクレスにあるアポローンの玉座である。

古代ローマには2種類の玉座があった。1つは皇帝のため、もう1つは女神ローマのためのもので、礼拝の中心としてその玉座には彼女の彫像が据えられた。
ユダヤ教聖典

ヘブライ語聖書にある「 ??? (キッセ)」というヘブライ語を英語翻訳したものが「Throne(スローン・玉座)」である。出エジプト記ファラオは玉座に座っていると記述されているが(出エジプト記 Exodus 11:5, Exodus 12:29)、たいていの場合はイスラエル王国の玉座を指しており、しばしば「ダビデの玉座」または「ソロモンの玉座」と称される。ソロモンの玉座については列王記1 Kings 10:18-20で「さらに王は象牙の偉大な玉座を作り、それに最高の金箔を施した..玉座には6つの階段があり、玉座の頂点は背後が丸くなっている。座席の両側にはひじ掛けがあり、その傍らに2頭のライオン(獅子像)が立っていた。そして6つの各階段にも左右に獅子像が計12頭立っていた。どの王国にも似たようなものはなかった」と記述されている。エステル記Esther 5:3では、同じ単語がペルシア王の玉座を指す。

神のヤハウェ自身はしばしば玉座に座っていると記述され、聖書の外では神の御座(英語版)として、詩篇においては特にイザヤ書Isaiah 66:1にて、「天が私の玉座であり、地球は私の足置き台である」とヤハウェは自ら語っている(この詩句はマタイによる福音書Matthew 5:34-35にて示唆されている)。
中世から近代初頭象牙製のイヴァン4世の玉座

ヨーロッパの封建国では、君主はたいていローマ政務官の椅子を基にした玉座に座っていた。これらの玉座は、アジアのものと比較してもともとは非常に簡素だった。最も偉大かつ重要なもののひとつが、イヴァン4世(通称イヴァン雷帝)の玉座である。時代は16世紀半ばに遡るもので、肘掛け付きの高背椅子の形状をしており、象牙およびセイウチ骨の飾り板には神話的な、紋章的な、生命の情景が複雑に彫刻されて装飾されている。キリスト教徒の君主の理想とみなされていた、ダビデ王の生涯に関する聖書記述からのシーンが彫刻された飾り板も見られる[4]

実際には、公式な場所で君主が占有していた椅子はどれも「玉座」の役割を果たしたのだが、君主が頻繁に向かう場所にはそのためだけに使用される特別な椅子が保管されていることも多かった。玉座は国王と女王のためにペアで作られるようになり、後年ではそれが一般的となった。2つの席は同一であるか、場合によっては女王の玉座は僅かに壮麗さを控え目にした。

ビザンチン帝国(マグナウラ宮殿)の玉座には、鳥がさえずる精巧なオートマタが含まれていた[5]オスマン帝国チュニスにある摂政地域(名目上はオスマン帝国の州、事実上は独立した領域)では、玉座が「クルシ(kursi)」と呼ばれていた。

近代初期の時代にも、伝統の雰囲気を醸しだす中世の例は維持される傾向があり、新しい玉座が作られた時には中世のスタイルを継承するか、あるいは現代的な椅子か肘掛け椅子の非常に壮大で精巧なものだった。
南アジア赤い城のディワニ・カースという謁見殿にある、孔雀の玉座を描いた絵画、1850年頃マハーラージャ、ランジート・シングの玉座

インド亜大陸では、玉座の伝統的なサンスクリット名はsi?h?sana(シムハーサナ、獅子の座席という意味)であった。 ムガル帝国の時代には、玉座が Sh?h? takht(シャーヒータクスト)と呼ばれた。gaddi(ヒンドゥスターニー語発音: [???d?d?i]、r?jgadd?とも呼ぶ)という用語は、インドの藩王達により玉座として使われたクッション付きの座席のことだった[6]。gaddi は通常、ヒンドゥー藩王国の支配者の玉座に対して使われた用語だが、ムスリムの藩王やナワーブの間ではトラヴァンコール王国の王族といった例外もあり[7]、両方の座席が似ていたとはいえ、musnad ([?m?sn?d])またはmusnud という用語のほうがより一般的だった。

ジャハーンギールの玉座(en)は1602年にムガル皇帝ジャハーンギールによって造られ、アーグラ城塞のディワニ・カース(貴賓謁見の間)に据えられている。

孔雀の玉座 はインドのムガル皇帝の席だった。 それは17世紀初めに皇帝シャー・ジャハーンにより命ぜられ、デリー赤い城に置かれた。


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