玉作湯神社
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玉作湯神社

拝殿
所在地島根県松江市玉湯町玉造508
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度24分49.26秒 東経133度0分42.35秒 / 北緯35.4136833度 東経133.0117639度 / 35.4136833; 133.0117639 (玉作湯神社)座標: 北緯35度24分49.26秒 東経133度0分42.35秒 / 北緯35.4136833度 東経133.0117639度 / 35.4136833; 133.0117639 (玉作湯神社)
主祭神櫛明玉神
大名持神
少彦名神
五十猛神(配祀神)
社格式内社(小)
県社
創建不詳
本殿の様式大社造
例祭10月10日
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}玉作湯神社
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一の鳥居

玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ[1]、玉造湯神社)は、島根県松江市玉湯町玉造にある神社式内社で、旧社格県社神紋は「二重亀甲に丸玉管玉勾玉」。
祭神

祭神は次の4柱[2]

櫛明玉神 (櫛明玉命、くしあかるたまのみこと[3]

大名持神

少彦名神

五十猛神

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳での祭神の記載は「玉作湯神社」が1座、「同社坐韓国伊太氐(からくにいたて[3])神社」が1座の計2座。それぞれ『出雲国風土記』(天平5年(733年)成立か)に見える「玉作湯社」と「由宇社」に比定される[4][5]
祭神について出雲玉作史跡公園玉造温泉街

神名の「玉作湯神」に関しては、「玉作神」と「湯神」の二元的性格が指摘される[4][6]。前者の「玉作」とは玉類(勾玉・管玉・丸玉など)の製作を意味する[7]。鎮座地の花仙山一帯は出雲地方における玉作の中心地とされ、弥生時代末期に始まる玉作遺跡(国の史跡「出雲玉作跡」)が濃密に分布するほか[8][6]、遺跡からの出土品の一部は玉作湯神社に所蔵され国の重要文化財に指定されている[9]。また当地一帯は『出雲国風土記』に見える「忌部神戸」に比定されることから、玉作湯神社は忌部氏(斎部氏)の管掌下で玉類製造にあたった玉作部により奉斎されたものと推測されている[6]。『古語拾遺』では櫛明玉命が出雲国玉作の祖である旨が記されており、現在の玉作湯神社ではこの櫛明玉命を祭神の1柱に祀っている[6]。また同書では、天富命が斎部諸氏を率いて各種神宝を作らせたうち、櫛明玉命の子孫には「御祈玉(みほきたま)」を作らせ、その櫛明玉命の後裔は出雲国にあって毎年調物と併せて玉を貢進する旨が記されているが[6][10]、実際に『延喜式』臨時祭では毎年10月に出雲国意宇郡の神戸玉作氏が玉を進上する旨が規定されている[6][7]

後者の「湯神」の性格は、玉造温泉が神の湯として信仰されたことに関係する。現在の祭神のうち大名持神(大国主神)と少彦名神については、『伊予国風土記』逸文に道後温泉にまつわる伝承が記されており、その関係で両神は湯の神として当地に勧請されたものと推測する説がある[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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