げんだ てっしょう
玄田 哲章
プロフィール
本名横居 光雄(よこい みつお)[1][注 1]
愛称玄やん[5]
性別男性
出身地 日本・岡山県[6]
生年月日 (1948-05-20) 1948年5月20日(75歳)
血液型AB型[7]
職業声優、舞台俳優、ナレーター[8]
事務所81プロデュース[9]
配偶者あり[10]
公式サイト玄田哲章
玄田 哲章(げんだ てっしょう[注 2]、1948年5月20日[1][2][15] - )は、日本の声優、舞台俳優、ナレーター[8]。岡山県出身[6]。81プロデュース所属[9]。既婚。デビュー当時は、本名の横居 光雄(よこい みつお)[注 1]名義で活動していた。 1948年5月20日に岡山県で生誕。正則高等学校時代は軟式テニス部に所属し、ダブルスの前衛プレーヤーとしてテニスに励む[16]。中学・高校時代は芝居と縁がなかったが、受験に際して芝居の道に進みたいという気持ちが強くなり、相談した高校教師の知人である東宝映画のプロデュースを行っていた人物からの紹介で、東宝芸能アカデミーに入学[15]。卒業後、新劇の道に進もうと文学座と劇団雲のオーディションを受けたが、両方とも落選[15]。悩んでいたところに、演劇雑誌『テアトロ』で見つけた[17]野沢那智主宰の劇団薔薇座の募集を目にしに1970年に入団した[18]。初舞台は『王女メディア』[4]。当初は1年だけのつもりだったが、結局は17年間もの長期に渡って在籍した[15]。 1972年[18]、24歳のときに野沢から「そろそろお前もやらないか?」と薦められ、声優業を始める。ディレクターの斯波重治[5]の紹介で、テレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』のアフレコ現場を見学[13][19][20]。同作で多数の端役を担当し、以降は声優としてさまざまな作品をこなすようになった。声優業を始めた当時を「当日に台本を渡され台本の見方も分からないままスタジオに入れられ、喋り出しても画面に合わなくて悔しい思いをした」と振り返っている[15]。
経歴