獨協中学校
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獨協中学校・高等学校

過去の名称獨逸学協会普通科
獨逸学協会中学校 (旧制)
国公私立の別私立学校
設置者学校法人獨協学園
設立年月日1883年(明治16年)
共学・別学男子校
中高一貫教育完全一貫制
課程全日制課程
設置学科普通科
学期3学期制
高校コード13579J
所在地〒112-0014
東京都文京区関口三丁目8番1号
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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獨協中学・高等学校(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区関口三丁目に所在する私立男子中学校高等学校[1]
目次

1 概要

2 校風

3 中高一貫制の教育区分

4 沿革

5 施設

6 大学進学状況

7 獨協学園 Doctor's Club

8 廃校の危機

9 部活動

10 学校関係者

10.1 歴代校長

10.2 教職員経験者

10.3 著名な出身者

10.3.1 政治・行政・経済

10.3.2 学者

10.3.3 文化



11 脚注及び参照

12 関連項目

13 外部リンク

概要「学校法人獨協学園」も参照

明治時代に設立されていた獨逸学協会学校を母体に設置された。近代日本の医学ドイツを手本としていたため、設立時から現在に至るまで、医学部系の進学率が比較的高い。獨協大学の系列校としてのイメージはあるが、当校の設立のほうが古く、実際にはその逆である。また獨協大学・獨協医科大学姫路獨協大学への推薦枠があるが、2017年度の獨協大学への推薦入学者はわずか2名となっており、他大学への進学希望者が大多数である。校舎はモダンな構造で、テーマは「光と風と緑の創造空間」。
校風

生徒の自主性を重んじる校風であり、学内には一人一人の考え方を重んじる自由な空気がある。生徒と担任の教師やそれぞれの科目を担当する教師との距離が近く、様々な事柄について相談をし易い環境が整っている。試験期間を除けば、教員室への出入りも自由である。また、伝統的に本校の生徒は高校1年の時からドイツ語を外国語として選択することが可能である。以前は大学入試の際にドイツ語を選択する生徒もいたものの、ドイツ語コースが無い上、英語が全員必修科目のために現在ではほとんどいない。また、ドイツ連邦共和国政府が定めるドイツ語教育枠組みPASCH加盟しており、ドイツ政府の定めているプログラム参加生もいるが、後者も毎年いるわけではない。
中高一貫制の教育区分

この学校においては、中学校の第1学年および第2学年の前期2年間を「第1ブロック」、中学校第3学年および高等学校第1学年の中期2年間を「第2ブロック」、高等学校の第2学年および第3学年の後期2年間を「第3ブロック」に区分する「2-2-2制」を採用している[2]
沿革

1883年 - 獨逸学協会学校を創立

1884年 - 専修科(現在の獨協大学)及び普通科を併設

1893年 - 普通科を獨逸学協会学校中等部に改称

1895年 - 専修科を分割、
東京帝国大学文学部獨逸文学科の母体となる

1948年 - 獨協中学校・高等学校が発足

1997年 - 中高一貫制開始

1998年 - 新校舎完成

2000年 - 高等学校での生徒募集停止し、完全中高一貫校化

2014年 - 入試募集人員見直し(210名→200名)

施設

校舎は教室が設置されている『本校舎』と、小道を挟んだ向かい側にあるスポーツ設備を備えた『獨協学園 100周年記念体育館』の二つに分かれている。

現在の本校舎は地上5階、地下1階建、モダンな構造で1998(平成10)年に落成した。設計コンセプトは、『光と、風と、緑の創造空間』で、オーディオテクニカ本社などのデザインを手がけた赤坂喜顕が設計。日本建築学会作品選奨に選定された。

校舎は部室棟とともに中庭グラウンドを囲む形で建てられており、台地という地形から新宿副都心や東京スカイツリーなどが臨める。

ガラスを多く取り入れた設計で、間口を設けられるフリースペースや、階段、上層階の廊下などを可能な限りガラス張りとしたほか、その他窓が設けられない部分にも吹き抜けを設置、教室にも桟が少ない大型ガラスが使用されているほか、細長い窓を設置して間接照明風にするなどの工夫を凝らすなど、光を利用した採光性の高い校舎である。全ての教室に、全自動空調、全熱交換換気システムを採用し、フロア内で天井裏の配管などを数箇所にまとめることにより天井を高くすることで、高い居住性を確保している。生物室、化学室、物理室、地学室の4つの理科室が設置され、大学で使用される器具を多く取り扱うなど、高いレベルの学習環境を実現した。

100周年記念体育館は1983(昭和58)年に落成。敷地が急坂に面しているという独特の地形を活かし、土地の有効活用という面から体育館は地下に設置されており、体育館屋上部分が運動場となっている。体育館内には、アーチェリー場、トレーニングルーム、柔道場、シャワールームなどが設置されている。また周囲にドライエリア・天窓を設置し、室内には空調設備、大型換気扇を導入することで、地下体育館での採光・通風のデメリットを解消している。
大学進学状況

例年、慶應義塾大学早稲田大学には理系で5人前後、文系では10人前後東京理科大学、MARCHには2割くらい合格者を輩出している。また、数少ないドイツ語教育を行う高校かつ医者や歯医者の息子が多いため、開校以来今日まで、私立大学医学部・歯学部・薬学部を志望する人が多いのが特徴である。現役で医学部合格している生徒は訳ありが多いのも特徴である。系列の獨協医科大学以外にも、他の私立医学部への推薦枠があり落ちる年も少なくないが、進学している。また、本校ホームページの合格実績を見て多いな、と感じる人もいるだろうが、1人が何学部も受かってる場合がほとんど故人数としては先に述べた通りである。
獨協学園 Doctor's Club

1883年(明治16年)に開学以来、獨協学園は創立130年を経て、数多くの医学の徒を輩出しており、同校では医学界において900名を越える同窓生が一堂に会す機会を設けている。医学界に多くの人材を輩出した獨協学園の同窓の医師の親睦を図り、同校のさらなる発展に寄与するために「獨協学園 Doctor's Club」を発足させている。
廃校の危機

ドイツ語を中心に教育を進めてきたため、明治から大正にかけて、獨逸学協会学校第一高等学校(三部、医科)→東京帝国大学(医科)の順に進学するのがエリートコースの一つであった。しかし、第一次世界大戦でドイツが敗れると、ドイツ語を学ぶ生徒が激減し、昭和初期には経営環境が非常に厳しくなった。日独伊三国同盟成立の影響で、若干の人気回復を果たすが、第二次世界大戦後は廃校の危機に直面した。GHQに対しては、獨協とは「獨逸学協会」の略ではなく、「獨立協和」の略であると、苦しい弁明をしたほどであった。その危機を救ったのは第13代校長で同校OBである天野貞祐であった。
部活動

天文部

PC部

ビオトープラボ

美術部

陸上部

理工学研究部

歴史研究部

演劇部:映画『行け!男子高校演劇部』のモデルとなった。

映画研究部

化学部

軽音楽部

吹奏楽部

思考ゲーム同好会

生物部

ドイツ語同好会

鉄道研究部

ラグビー部

アーチェリー部


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