猟兵
[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年7月)
フランス軍猟兵の石像

猟兵(りょうへい、: Jager、: jaeger、: chasseurs、: cacadores)は、近代の軍隊における兵科または兵種の名称。Jager や chasseurs などの語は、いずれももとは猟師ハンターを意味しており、そこから日本語では猟兵と訳される。目次

1 概要

2 ドイツにおける猟兵

3 フランスにおける猟兵

4 その他の国の猟兵

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 関連項目

概要

猟兵は17世紀初め頃にスウェーデン陸軍で創設された“騎馬猟兵中隊”が始まりとされている。この部隊は、日頃から銃の扱いに慣れている森林労働者や、猟場監視人を集めて編制されており、それは後にヨーロッパ各国で創設された猟兵部隊でも同じであった。猟兵は通常の戦列歩兵とは異なる任務(散兵戦や狙撃戦)に使用され、一種のエリート部隊として扱われていた。

19世紀中盤以降、産業革命の成果を得て各種の火器が飛躍的な発達を遂げ、精度・射程距離・殺傷力を高めたエンフィールド銃に代表されるミニエ式ライフル銃が歩兵の標準装備とされたクリミア戦争から南北戦争の時代になると、戦列歩兵の伝統的運用は甚大な損害を蒙るようになった。この変化を受けて、各国軍は戦列歩兵を改組し、非密集型の散兵中心な歩兵運用へ置換した。このため近代歩兵の野戦運用は、猟兵をはじめとする軽歩兵の系譜に連なる存在として現在に至っている。

特に、独立戦争に際して独立派に参加した民兵(その多くは農民や猟師だった)が、猟兵・狙撃兵として大きな役割を果たした米国では、個々の兵士に狙撃技能の研鑽を求める“One shot One kill”と呼ばれる伝統が軍内に強く残っており、歩兵銃の命中精度に対する要求値が他の欧州各国軍に比して高いことで知られている。また、一般人である民兵が武装する権利を“自由な国家の安全にとって不可欠”(necessary to the security of a free State)としてアメリカ合衆国憲法修正第2条で保証している。

散兵と戦列歩兵の区別もなくなったことから、猟兵は独立した兵科としての実態を失ったが、猟兵の名は名誉呼称として主に空挺部隊や山岳部隊等の軽歩兵の部隊名などに残る事となった。
ドイツにおける猟兵

1744年プロイセン国王フリードリヒ2世七年戦争で狙撃兵として活躍したオーストリアクロアチア人辺境兵(Grenzers)に感銘を受け、創設したのがはじまりである。

猟兵はドイツ語で Jager と書き「イェーガー」と読む。当時のドイツは16世紀に発明されたライフル銃(江戸時代後期の日本では蘭語でヤーゲル銃と呼ばれた)の製造技術を継承するマイスターたちが工房を構える数少ない地域であり、その製造技法はギルドによって保護されていたため、多くの欧州諸国がドイツ製ライフル銃と、その使用に長けたドイツ人傭兵を自軍の猟兵・狙撃兵として配備していた。 米国独立戦争に派遣されたドイツ人傭兵が使用したドイツ製・上と、主に大陸軍民兵によって使用された米国製・下(通称:ケンタッキー銃)の2種のライフル銃

ライフル銃製造技術はドイツ人移民を通じて新大陸にももたらされ、アメリカ独立戦争においては、英軍に雇われたドイツ人傭兵(Hessian)と大陸軍に加わったドイツ人移民たちの民兵が、互いに猟兵としてライフル銃で戦うことになった。

ライフル銃は戦列歩兵の用いるマスケット銃(ゲヴェール銃)に比べて、命中精度は格段に高いが、再装填に時間がかかるため、戦列歩兵のように隊列を組んで前進して目標に対し一斉射撃を繰り返し、銃剣による白兵戦で決着を付ける戦術よりも、散開して個々の判断で射撃を行って敵の士官や砲兵を狙撃し、戦列歩兵の突撃を側面支援する戦術に運用されていた。

猟兵は戦列歩兵の側面支援の他に、敵軍の後方撹乱、山岳戦、狙撃、偵察をも任務としていた。当時のプロイセンには“シュッツエン”と呼ばれる狙撃兵も同時に存在したが、これが散兵任務のほか密集戦闘に携わったのに対し、猟兵はあくまで散兵専門の部隊として扱われた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef