狭山池ダム
所在地大阪府大阪狭山市大字岩室 ○印はダムの位置 Wikimedia maps を表示.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}狭山池 (大阪府) (大阪府) 大阪府地図を表示
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度30分12.6秒 東経135度32分52.5秒 / 北緯34.503500度 東経135.547917度 / 34.503500; 135.547917 (狭山池ダム)
狭山池(さやまいけ)は、大阪府大阪狭山市大字岩室にある池。日本最古のダム式ため池(人工池)とされ、国の史跡に指定されている[1]。
現在は狭山池土地改良区が維持管理している。(河川施設としては大阪府富田林土木事務所、狭山池公園としては大阪狭山市の所管。) 石川や大和川といった水量の豊富な河川から外れる河内国西部の丘陵地帯は、水量に乏しく灌漑に苦労していた地域で、現在も狭山池周辺には大小の溜め池が数多く点在する。 飛鳥時代前期、朝廷によって西除川(天野川)と三津屋川(今熊川)の合流点付近を堰き止め築造されたとされるが、正確な築造年は明かでは無く、4世紀[2]から7世紀の改修記録が残る時期まで幅広い説がある。『古事記』・『日本書紀』にもその名が記され、池の中に狭山池神社(龍神社)が祀られている。 1704年(宝永元年)の大和川の付け替えまで、現在の大阪市域に至る80か村、約55,000石を灌漑していた。各時代で幾度となく改修が重ねられ、1988年から10年以上の工期をかけた大改修のダム化工事により洪水調整機能を備え、同時に池の周囲は公園として整備された。また、以前の狭山池の保存と公開を目的とした大阪府立狭山池博物館が池の北側に2001年に開館し、改修工事の際に切り出した堤体の実物が展示され断面を見ることが出来る[3]。 南海高野線の狭山駅から大阪狭山市駅にかけて、狭山池を取り囲む木々に覆われた堤防と博物館は見ることができるが、水面は見えない。 その美しい景観から大阪みどりの百選に選定される[4]など、近年は利水・防災の観点のほか、観光スポットとしての側面も大きい。(狭山池 (大阪府)#狭山池公園参照)
概説
接続河川
流入する河川
西除川(にしよけがわ)・三津屋川
流出する河川
西除川(にしよけがわ)・東除川(ひがしよけがわ) - ともに大和川に流れ込む。
西除川の狭山池より上流部分は「天野川(あまのがわ)」とも呼ばれる。
人間史
『日本書紀』の記述―崇神天皇62年7月2日の条
「農は天下の大本なり。…今、河内の狭山の植田水少なし。是を以て其の国の百姓、農のことを怠る。其れ多に池溝を開きて民業を寛かにせよ」
『古事記』の記述―垂仁天皇の段
「印色入日子命(編者注;垂仁天皇の皇子)、血沼池又狭山池を作る」
『枕草子』に狭山池についての記述がある。
1600年(慶長5年) 池の東畔に北条氏が治める狭山藩の陣屋が置かれる。
1941年(昭和16年 大阪府の史跡名勝第1号に指定。
1952年(昭和27年)からボートレース開催(狭山競走場)。