狩野健太
[Wikipedia|▼Menu]

狩野 健太

名前
愛称ケンタ
カタカナカノウ ケンタ
ラテン文字KANO Kenta
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1986-05-02) 1986年5月2日(38歳)
出身地静岡県静岡市葵区
身長177cm
体重70kg
選手情報
ポジションMF
利き足右足

クラブ1
年クラブ出場(得点)
2005-2012横浜F・マリノス 107 (9)
2013-2015柏レイソル 34 (3)
2016-2017川崎フロンターレ 7 (1)
2018-2019徳島ヴォルティス 29 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年07月04日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

狩野 健太(かのう けんた、1986年5月2日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー
来歴

静岡学園高等学校から2005年に横浜F・マリノスに入団し、プロ入りした。プロ入り時には出身地にある清水エスパルスなど複数クラブから入団の誘いを受けたが、最終的に横浜FMを選択した。

プロ2年目の2006年からはある程度試合に出場したものの、レギュラーを獲得するまでには至らなかった。そうした状況が変わったのは2008年であった。この年、横浜FMはJ1残留争いに巻き込まれ、桑原隆から木村浩吉へ監督が交代した。木村は狩野を抜擢すると、狩野はそれにこたえる活躍を見せ、残留争いから脱出する原動力になった。2009年も引き続きレギュラーとしてプレーし、自己最多の28試合に出場し、同じく自己最多の4ゴールを挙げた。

しかし、2010年に中村俊輔がチームに復帰したことでポジション争いが激化し、この年に就任した木村和司は狩野をメンバーから外すことが多くなり、2011年も木村が指揮を執ったため、狩野の出番は更に限られた。2012年は監督が木村から樋口靖洋に変わったものの、J1リーグ戦では途中交代出場のみの4試合の出場となり、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。

2013年に柏レイソルに加入した[1]。柏は高校時代にも獲得のオファーを出しており、8年越しの入団実現となった。

2015年、柏レイソルから契約満了が発表される[2]

2016年1月1日、川崎フロンターレへ完全移籍することを発表した[3]。開幕当初はスタメンで出場してたものの、徐々に出番を失いベンチを温める日が続いた。4月6日ナビスコ杯、アルビレックス新潟戦で先発を果たし、前半20分PKを決め、移籍後初ゴールをあげた。また、後半37分にゴールを決め、合計2得点を挙げて勝利に貢献した[4][5]

2017年をもって契約満了に伴い退団[6]

2018年4月、徳島ヴォルティスへの加入が発表された[7]

2020年1月13日、徳島ヴォルティスから契約満了が発表される[8]

2020年7月1日引退を発表[9][10][11] [12]

同時にKentaKano Official HPを開設し[9]、プライベートサッカートレーニングを開始する事を発表した。

2021年1月15日、川崎フロンターレのスクール・普及コーチに就任することが発表された。[13]
エピソード

1993年Jリーグ開幕節に感銘を受けてサッカーを始めた[14]

所属クラブ
ユース経歴


麻機小学校

1999年 - 2000年 東海第一中学校

2002年 - 2004年 静岡学園高等学校

プロ経歴


2005年 - 2012年 横浜F・マリノス

2013年 - 2015年 柏レイソル

2016年 - 2017年 川崎フロンターレ

2018年4月 - 2019年 徳島ヴォルティス

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦
リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef