狩り
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カラッチの絵画については「狩猟 (カラッチ)」をご覧ください。

「狩り」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「狩り (曖昧さ回避)」をご覧ください。
イノシシ狩りを描いた絵画新石器時代のディアハンティング(Deer hunting 鹿類の狩り)の様子。イベリア半島の地中海沿岸の岩絵世界遺産インド象の上からの虎狩(英語版) 著:Thomas Williamson, 1808鹿を仕留める源経基を描いた『貞観殿月』(月岡芳年「月百姿」)

狩猟(しゅりょう、: hunting)とは、野生動物を捕獲する行為のことである。狩り(かり)、とも。[注釈 1]

捕獲後の目的(殺傷して利用、保護、タグ付けリリース)とは関係なく、捕獲行為を言う。
概要[ソースを編集]

狩猟の歴史は非常に長い。

そもそも、人類が誕生する以前から、肉食性の動物は狩りをして生きていた。

(人類の歴史は数百万年と言われているが)人類は、太古の昔から採集や狩りや漁をして生きてきた(このような、人類の本来の食料獲得の方法および集団のありさまを文化人類学では狩猟採集社会という)。

狩猟の最も本来的な目的は、命を保つために必要な食料(食糧)を獲得することにある。端的に言うと、食べるためのなどを得るために狩るのである。これはそもそも人類誕生以前から野生動物が行っている狩りの目的であり、人類にとっても一番根源的で基本的な目的である。また人類の場合はさらに、生活に必要な物資を野生動物から獲得するためにも狩りを行う。たとえば皮革油脂羽毛などを得るために狩りを行う。

野生の動物や植物を飼いならしたり栽培する牧畜農耕という技術を人類が最初に得たのは、メソポタミアにおいてだとされており、牧畜のほうが紀元前1万1000年頃、農耕のほうは紀元前9000年頃だとされている。農業の歴史も参照。

牧畜や農耕が次第に人類に広まってゆき、そちらで得られる食料が増えるにつれ、食料獲得を目的とした狩猟は減少傾向になった。だが、物資を得るための猟のほうは、むしろその逆で、特に18世紀の産業革命を契機に資本主義が形成され、広範囲の物資が市場で商品として取引され貨幣と交換される社会となると、商品価値の高い資材を獲得することを目的に、かえって大規模な狩猟が行われるようになった。[注釈 2] たとえばアザラシヒョウ毛皮象牙などを得て商品として売って貨幣を得るために狩りが行われるようになったのである。このため、狩猟によって特定の種が絶滅したり生息数が激減するなどの生態系への深刻な影響が顕在化してきた。これに応じて、狩猟が行われる地域の法規や、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)が整備され、狩猟には一定の制限が加えられたり禁止されている場合がある。ただし、密猟も後を絶たず、いわゆる「いたちごっこ」状態も起きており、十分な実効性が上がっていないケースも多いとの指摘もある。
狩猟の方法[ソースを編集]詳細は「Category:狩猟の方法」を参照

アフリカ熱帯雨林に暮らす人々や、日本における銃を用いた大型獣の狩猟などは、集団によって行われる。

日本のシカやイノシシ猟を例にとると、グループの中で獲物を追い立てる役と、獲物の逃げ道沿いに待ち伏せをして銃を構えている役とに分かれて狩猟する。熊を狩るときも集団を組むのは基本である。

このように集団で捕った獲物は、狩猟の参加者あるいは村落全体で配分されるという事例が日本の他に、サン人ムブティ族などアフリカにおいてもみられる。
方法の一覧


持久狩猟(英語版) - 原人は獲物が疲れて動けなくなるまで追い詰めて狩る狩猟を行い持久走を行う進化を遂げた。

罠猟

猟犬

鷹狩

巻狩

ラップヤクト(ドイツ語版) ‐ ドイツでオオカミを追い込むのに利用した狩猟法。布を垂れ下げて、獲物の逃げる方法を誘導する。

目的[ソースを編集]
食糧の獲得
狩猟の目的の基本中の基本は食糧・食材の獲得である。現在でも、狩猟の獲物を解体し肉として食べている国・地域は多い。特にフランスでは狩猟で得た野生動物の肉をジビエ: gibier)と呼び、独特の風味のある高級食材として食しており、近年では日本でも同様である。
様々な物資の獲得
もうひとつの基本としては、皮革毛皮)・油脂(つの)・羽毛などを得るために狩猟がおこなわれてきた歴史がある。
人の生活圏の動物駆除
狩猟は人間の生活環境に不都合な影響を及ぼす動物を排除するため、いわゆる「駆除」のためにも行われてきた。たとえば次のようなことである。

直接的に人間や住居を襲う動物を捕獲し、人間の生活圏から除去し、人間の生命の安全を確保すること

飼育している動物や栽培している植物を捕食する動物を駆除し、人の生活資源を保全すること

野生動物管理

また、野生動物の個体数を調整するという自然保全上の大きな役割も担っている[1]

こうした狩猟には主に以下のケースがある。

従来は存在しなかった外来種が侵入するなど、生態系が乱されることを防止するため、または乱されてしまった生態系を原状に回復させるため、その外来種の動物等を選択的に駆除すること

人間が特定の動物種の個体数を意図的に増加・減少させてしまった結果、その生態系のバランスが崩れ、それを修正するために特定の動物種を狩猟すること

なお、駆除目的、野生動物管理目的いずれでも、捕獲した鳥獣は、副次的に資材を得るために用いられる場合がある。[注釈 3]
各国の歴史と現状[ソースを編集]古代エジプトで投棒で狩猟していた様子。こん棒を投げる狩猟は原始時代以前から行われていたと考えられる。
ヨーロッパ[ソースを編集]

ヨーロッパには先史時代の狩猟の痕跡や遺跡が多く残されている。スペインフランスの洞窟には数多くの壁画が残されている。1000点の壁画の内、人間が描かれたのものは20点たらずで残りはすべて狩猟対象の動物の絵である。フランスのソーヌ=エ=ロワール県には断崖の下に野生馬の骨が2メートル半堆積した場所があり、人間に追い立てられた推定10万頭のウマが崖下に落ちた痕跡と見られている。同様の狩りの様子を描いた壁画がラップランドで見つかっている[2]

イギリスでは古来よりスポーツハンティング貴族や富裕層の嗜みとして行われたことから[3]、彫金が施された銃器やシューティングブレークなどの高級な狩猟用品の市場が形成されている。現在のイギリスには48万人の狩猟者がいるとされるが、狩猟免許は存在せず、狩猟者登録も必要ない[3]。狩猟をする権利はその土地の所有者が有しており、他者に貸与することもできるため、娯楽として自由に狩猟を楽しむアマチュアハンターもいれば、仕事として依頼されるなどして専門に狩猟を行うプロハンターもいる[3]。なおイギリスではシカを対象とした狩猟はハンティング(hunting)ではなく「ストーキング(英語版)」(stalking)と呼ばれる。狩猟の際にかぶる帽子も「鹿撃ち帽(deerstalker hat)」と呼ばれる。

ドイツで狩猟を行うには試験に合格して狩猟免許を得る必要がある[4]。ドイツには2008年の時点で約35万人の狩猟者が存在し、狩猟者数は微増傾向にある[4]。ドイツでは森林管理と狩猟が密接に関係しており、ドイツの森林官のほとんどは狩猟免許を取得している[4]。こうした狩猟森林官とは別に、職業狩猟者が1000人ほど国内に存在する[4]

北欧はヨーロッパの中でも狩猟が盛んに行われている地域である[5]ノルウェーの狩猟者数は約19万人で、他のヨーロッパ諸国と同様に土地所有者が狩猟権を有する[5]ロングイェールビーンではホッキョクグマの狩りが1950年代まで観光資源となっていた。
アフリカ[ソースを編集]

アフリカではヨーロッパによる植民地支配が始まった19世紀以降から現代までサファリと呼ばれる狩猟旅行やスポーツハンティングが盛んに行われている。サハラ砂漠以南の42のアフリカ諸国のうち25か国でスポーツハンティングが認められており、年間1万8500人を超える狩猟者がアフリカを訪れる[6]。また、正規の狩猟者以外によって行われる密猟が国際的な問題となっている[7]
アメリカ[ソースを編集]

アメリカは狩猟大国であり、2011年の時点で総人口の約6%に相当する1370万人が狩猟を行っており、20-30億ドルもの経済効果が推定されている[8]。1980年代からは狩猟者の数は減少傾向がみられたが、2010年代に入ってまた増加している。アメリカでは銃や弓矢、クロスボウが使われ、年間700万頭のオジロジカや2万頭のアメリカクロクマが狩猟される[9][注釈 4]
日本[ソースを編集]狩猟文鏡伝群馬県高崎市八幡原出土。東京国立博物館展示。平安時代の公家が狩猟へ向かう際の衣装(京都市の時代祭アイヌの狩人を描いたアイヌ絵イオマンテの準備をするアイヌの村。村人がの檻を囲んで踊り、神との別れを惜しんでいる。『鷹匠』鳥園斎 栄深スタジオで撮影された、猟装の慶喜(1870年代)「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」、「狩猟免許」、および「日本の獣肉食の歴史」も参照

日本列島においては旧石器時代縄文時代には狩猟が植物採集や漁労活動とともに主要な生業であったと考えられている。縄文時代にはシカイノシシを主要な狩猟獣とした生業が営まれていた[10]弥生時代、そして続く古墳時代になると本格的な稲作農耕が開始され、安定的な食料供給が可能になったため狩猟の重要性が低くなっていったと言われる。一方で農耕に伴なう害獣駆除などを目的とした狩猟は継続していたと考えられており、弓矢などの狩猟道具や矢が刺さったシカが描かれた土器や埴輪の存在から狩猟がなおも行われていたことが窺える[10]鷹狩も古代から行われており日本書紀には仁徳天皇の時代(355年)に鷹狩が行われ、タカを調教する専門職が置かれたという記録がある。

東北地方に住んでた蝦夷は騎乗しての狩猟の他に鷹狩も行っており、毛皮を交易品としてヤマト王権に売っていた。また狩猟で培われた騎射の技術が俘囚により武士へと伝わった。

農耕に適さない北方に住んでいたアイヌは狩猟採集生活を続けており、トリカブト毒矢や罠猟で大小様々な動物を狩り、毛皮を和人に売っていた。

奈良時代には仏教の受容により殺生・肉食が忌避されるに至ったとされる[注釈 5]。しかし、『延喜式』では地方に対して鹿皮や猪脂など狩猟獣の動物資源が賦課されていたり、『万葉集』ではシカの毛皮から内臓までを無駄なく利用している内容の歌が詠まれているなど、とくに庶民の間では狩猟活動が継続されていたと考えられている[11]。日本では肉食の禁忌令が何度か発令されたが、主に牛や馬など家畜を対象としたものであった[12]江戸時代にはももんじ屋と呼ばれる獣肉を販売する店が存在した[13]

貴族の間ではスポーツハンティングとしての狩猟が行われた。狩りに出かける際には動きやすい狩衣へ着替えたが、平安時代になると公家の普段着となっていった。

中世には武家の間でスポーツハンティングとして鷹狩が広まり、江戸時代には諸大名が鷹狩のため、鳥見などの専門職が定められた。

狩猟は木材生産・製材や鉱山経営、炭焼きなど山の諸生業のひとつとして行われていた一方で、動物資源の利用だけでなく畑作物への獣害対策としても行われた[14]。東日本では鉄砲(火縄銃)を用いた害獣駆除を目的とした狩猟が実施されていた[15]。また、東北地方では職業として狩猟を行う人々はマタギと呼ばれ、独特の習俗があった。対して、西日本ではわなを一部に組み合わせたしし垣が利用された[13]。中世や近世の日本における農民にとって鉄砲は農具であり、農耕と狩猟は密接な関係があったとされる[16]

明治時代になると狩猟の法制化が進んだ。


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