能楽(のうがく)は、日本の伝統芸能であり、式三番(翁)を含む能と狂言とを包含する総称である。重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
目次
1 歴史
1.1 明治維新後
1.2 昭和初期
1.3 第二次世界大戦後
2 能楽の技法
2.1 所作(カマエ・型・舞)
2.2 謡
2.3 囃子
2.4 面
2.5 装束
2.6 作リ物、小道具
3 能楽の担い手
3.1 シテ方
3.2 ワキ方
3.3 狂言方
3.4 囃子方
3.5 能楽の流派
3.6 座付制度
3.7 現存する流派
3.8 能楽師の育成
3.9 職業としての能楽師
3.10 能楽協会と日本能楽会
3.11 女人禁制とその緩和
4 能楽の上演形式
4.1 番組
4.2 能の略式演奏
5 能舞台
5.1 能舞台の歴史
5.2 能舞台の構造
5.3 音響装置
5.4 客席
6 観能機会
6.1 実演
6.2 放送
7 注
8 参考文献
9 外部リンク
歴史 最古の能舞台、厳島神社 唐織(からおり) 、江戸時代(18世紀)
江戸時代までは猿楽と呼ばれていたが、1881年(明治14年)の能楽社の設立を機に能楽と称されるようになったものである。明治維新により、江戸幕府の式楽の担い手として保護されていた猿楽の役者たちは失職し、猿楽という芸能は存続の危機を迎えた。これに対し、岩倉具視を始めとする政府要人や華族たちは資金を出し合って猿楽を継承する組織「能楽社」を設立。芝公園に芝能楽堂を建設した。この時、発起人の九条道孝らの発案で猿楽という言葉は能楽に言い換えられ、以降、現在に至るまで、能、式三番、狂言の3種の芸能を総称する概念として使用され続けている。 江戸幕府の儀式芸能であった猿楽は、明治維新後家禄を失ったことにより他の多くの芸能と同様廃絶の危機に瀕した。明治2年(1869年)にはイギリス王子エディンバラ公アルフレッドの来日に際して猿楽が演じられたが、明治5年(1872年)には能・狂言の「皇上ヲ模擬シ、上ヲ猥涜」するものが禁止され、「勧善懲悪ヲ主トス」ることも命じられた。
明治維新後