狂恋_(1935年の映画)
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狂恋
Mad Love
左の2人はコリン・クライヴとフランセス・ドレイク(ロビーカード)
監督カール・フロイント
脚本ジョン・L・ボルダーストン (英語版)
ガイ・エンドール
原作モーリス・ルナール『オルラックの手』
製作ジョン・W・コンシダイン・Jr.
出演者ピーター・ローレ
フランセス・ドレイク(英語版)
コリン・クライヴ(英語版)
テッド・ヒーリー(英語版)
セーラ・ヘイドン(英語版)
音楽ディミトリ・ティオムキン
撮影チェスター・A・ライアンズ
グレッグ・トーランド
編集ヒュー・ウィン
配給 MGM
公開 1935年7月12日
1936年1月
上映時間68分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
製作費403,000ドル[1]
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『狂恋』(きょうれん、Mad Love)は、1935年に公開されたアメリカ合衆国ホラー映画モーリス・ルナールの小説『オルラックの手』が原作。ドイツ出身の撮影監督カール・フロイントがメガホンを取った。主演は同じくドイツ出身のピーター・ローレ。他に、フランセス・ドレイク(英語版)、コリン・クライヴ(英語版)が出ている。

舞台はパリ。鉄道事故で両手を失ったピアニストのオルラックに、天才外科医ゴーゴル博士[2](ピーター・ローレ)が死刑囚の手を移植する。その日からオルラックは殺人衝動に悩まされる。一方、ゴーゴル博士はオルラックの妻で女優のイヴォンヌに狂恋する。そして、ついに恐れていた殺人事件が起きる。同じ原作の映画化『芸術と手術』(1924年)はオルラックが主人公だったが、本作は外科医を主人公にしている。

本作はカール・フロイントの最後の監督作であり、ピーター・ローレのアメリカ映画デビュー作である。ローレの演技は批評家から絶賛されたが、興行的には失敗した。映画批評家ポーリン・ケイルは映画としては満足できるものではないが、『市民ケーン』への影響を指摘している。撮影監督グレッグ・トーランドは両作品でカメラを回している[3]

しかし近年は作品の評価も高まり、カルト映画の古典とされている[4]

2014年にブロードウェイからリリースされたDVDのタイトルは『狂恋:魔人ゴーゴル博士』[5]
キャスト

ゴーゴル博士:
ピーター・ローレ

イヴォンヌ・オルラック:フランセス・ドレイク(英語版)

スティーブン(ステファーヌ)・オルラック:コリン・クライヴ(英語版)

リーガン:テッド・ヒーリー(英語版)

マリー:セーラ・ヘイドン(英語版)

ロロ:エドワード・ブロフィー(英語版)

ロセ署長:ヘンリー・コルカー

ウォン医師:ケイ・ルーク

フランソワーズ:メイ・ビーティ

列車の有名人のサイン収集家:ビリー・ギルバート

ローレは本作より先にコロンビア ピクチャーズ『Crime and Punishment』(監督はジョセフ・フォン・スタンバーグ、原作はドストエフスキー罪と罰』)のラスコーリニコフ役でアメリカ映画主演デビューをするはずだった[6]。しかし、公開が遅れたため本作品がデビューとなった[7][8]

イヴォンヌ役のフランセス・ドレイクはヴァージニア・ブルースの代役[6]。ドレイクはイヴォンヌに似せた蝋人形も演じた(一部は人形)[9]

コリン・クライヴはワーナー・ブラザースからのレンタル[7]
制作

MGMにルナールの『オルラックの手』の企画を提案したのはフローレンス・クルー=ジョーンズ[10]。ガイ・エンドールがカール・フロイントともに草案を練った[10]。プロデューサーのジョン・W・コンシダイン・Jr.は台詞及び撮影台本をP・J・ウルフソンに依頼[10]。1935年4月24日、ジョン・L・ボルダーストン (英語版)がそれをブラッシュアップ[7]。ボルダーストンは『M』(1931年)のローレを念頭に置いて台詞を執筆[7]。クランクインしてからも3週間かけてリライトを続けた[11]

クランクインは1935年5月6日[11]。撮影監督はチェスター・A・ライアンズだったが、フロイントはグレッグ・トーランドを推し、「8日間の追加撮影」の名目でトーランドを起用する[11]。女優のドレイクはフロイント、トーランド、そしてコンシダインの間で苦労したと回想している。「フロイントは撮影監督も兼任したかった」。さらに、「誰が監督なのかわからなかった。実を言うと、プロデューサーは監督をやりたがっていた、演出のことなんかまったくわかっていないのに」[12]。タイトルについても迷走した。1935年5月22日の段階でMGMは『オルラックの手(The Hands of Orlac)』と発表した[13]。他に『パリの狂った医師(The Mad Doctor of Paris)』というのもあったが、結局元々のタイトルだった『狂恋(Mad Love)』に落ち着いた[12]。予定より一週間オーバーして、1935年6月8日に撮了[13]。初公開後、MGMは15分ほど短縮[14]。削られたシーンは殺人犯ロロの手を切断するシーン、『フランケンシュタイン』で使われた本編前の前口上、そしてイザベル・ジュエル(英語版)演じるマリアンヌのシーンすべて[14]
公開

アメリカでの封切りは1935年7月12日[15]。イギリスでは『Hands of Orlac』というタイトルで1935年8月2日に公開された[16][17]全英映像等級審査機構のエドワード・ショートは上映禁止の意向を表明した[18]
反応

批評はもっぱらローレの演技に集中した。「ローレは本当の恐怖の造形を成し遂げた」(『ハリウッド・リポーター』)[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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