犬鳴峠
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この項目では、福岡県にある犬鳴峠について説明しています。大阪府にある犬鳴峠については「犬鳴山 (大阪府)」、「大阪府道・和歌山県道62号泉佐野打田線」をご覧ください。

福岡県宮若市の大字の「犬鳴」とは異なります。

「犬鳴トンネル」はこの項目へ転送されています。ゲームについては「犬鳴トンネル (ゲーム)」をご覧ください。

犬鳴峠
新犬鳴トンネル
所在地福岡県宮若市久山町
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度40分31秒 東経130度32分48秒 / 北緯33.67528度 東経130.54667度 / 33.67528; 130.54667座標: 北緯33度40分31秒 東経130度32分48秒 / 北緯33.67528度 東経130.54667度 / 33.67528; 130.54667
標高約270[1] m
山系犬鳴山系
通過路福岡県道21号福岡直方線
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プロジェクト 地形
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犬鳴峠(いぬなきとうげ、旧称:久原越)は、福岡県宮若市と同県糟屋郡久山町との境を跨いで存在しているである。
概要

犬鳴峠という名前は側に位置する犬鳴山(標高583.6メートル)から来ている。由来は諸説あり、文献『犬鳴山古実』には「この山を犬啼と呼ぶのは谷の入口には久原へ越える道筋に滝があり、昔 狼が滝に行き着いたが、上に登れないことを悲しんで鳴いていた」と記されている。他にもこの犬鳴山はとても深いため、でも越えることが難しく泣き叫んだため犬鳴山と命名された説がある。

他にも、律令時代稲置(いなぎ)の境界線に位置していたことから、次第に「いんなき」と変化していった説がある。筑前方言で犬は「イン」と呼ぶため、「インナキとうげ」とも呼ばれる[2]

宝永7年(1710年)に完成した『筑前國続風土記』(貝原益軒と貝原好古の共著)によると、犬鳴山および犬鳴谷の地名が現れるのは藩命により御譜代組足軽たちが移住してからで、それまでは大河内または火平(ひのひら)と呼んでいたという。江戸時代から犬鳴各戸の菩提所である浄久寺(浄土宗鎮西派:宮若市乙野)と東禅寺(曹洞宗:宮若市湯原)が所蔵する過去帳や記録などの文献上に初めて犬鳴山と犬鳴谷の地名が現れるのは、元禄6年(1693年)と翌年の元禄7年である。また糟屋郡久山町の伊野天照皇大神宮(通称・伊野大神宮)の拝殿脇に苔で覆われた手水石があるが、これは元禄五年に犬鳴の御譜代組足軽一同により奉納寄進されたもので、犬鳴山中と元禄五年などの文字が刻まれている。

江戸時代に編纂された『筑前國続風土記』『筑前國続風土記附録』『筑前國続風土記附録拾遺』などの各地誌では、犬鳴山周辺においてオオカミの生息は記載されていない。

律令時代の稲置の境界線説は『鞍手郡郷土史』『福岡県百科事典』『福岡県地名辞典』に記されているが、この3点の文献は、その根拠となる出典などは明確にしていない。

明治5年(1872年)に政府の命令で福岡県庁が編纂を開始した「福岡県地理全誌」に鞍手郡犬鳴谷村は24小区3村の内に属し、福岡県庁からの道程は5里8町(約25キロ)。戸数は31戸で内訳は士族3戸と旧卒族28戸と記されている。

江戸時代、鞍手郡から福岡と糟屋の縦貫線は脇田を通り、縁山畑(へりやまはた)から彦六峠(現・猫峠)を越し、福岡と糟屋に行ったらしく、当時は旅人の多くはこの道を利用していた。
地理・交通

久山町の東端部および宮若市の西端部にあたり、峠の北側に犬鳴山がある。糟屋郡の久山町・篠栗町古賀市福津市側と宮若市側を分かつ犬鳴連峰を越える峠の一つで、福岡市直方市を結ぶ福岡県道21号福岡直方線が通る。同道路はヘアピンカーブが連続し、狭いトンネルをくぐる交通の難所であったが、1975年に新犬鳴トンネルが開通した後は道幅も広がっている。なお、周辺は山間部なので大雨や積雪などの影響で通行止めになることもある。

筑豊地域の中で福岡都市圏寄りに位置し、北九州市・直方市と福岡市との近道として利用されることや、宮若市にはトヨタ自動車九州本社である宮田工場が存在する関係などで、交通量は非常に多く、深夜でも大型トラックダンプカーなども多数通行している。

公共交通機関としては、宮若市・久山町・粕屋町を経由して福岡市と直方市を結ぶJR九州バスの路線(直方線)が犬鳴峠を越えて運行されており、新犬鳴トンネルの両端出口付近に停留所が設けられている。停留所名は宮若市側が「犬鳴口」、久山町側が「白木橋」である。

犬鳴山を挟んで峠と反対側に山陽新幹線が通っているが、峠近くの区域はすべてトンネル(福岡トンネル)内となっている。新犬鳴トンネル入口の銘板には「新犬鳴トンネル」(全長:1,385m)と記されている。

峠の約2km北東、宮若市側では1970年から犬鳴ダムの建設が進められ、1994年に完成した(完成当時は若宮町)。ダム湖には「司書の湖」という愛称がつけられている。


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