logo犬山城
(愛知県)
天守(国宝)
(2023年(令和5年)3月)
別名白帝城
城郭構造平山城
天守構造複合式望楼型 3層4階地下2階(1601年築、1620年改)
築城主織田信康
築城年1537年(天文6年)
主な改修者成瀬正成
主な城主織田氏、豊臣氏、石川氏、平岩氏、成瀬氏、公益財団法人犬山城白帝文庫
廃城年1871年(明治4年)
遺構現存天守、石垣、土塁
指定文化財国宝(天守)
国の史跡
再建造物櫓、門(模擬)
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度23分17.96秒 東経136度56分21.34秒 / 北緯35.3883222度 東経136.9392611度 / 35.3883222; 136.9392611
犬山城(いぬやまじょう)は、尾張国と美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」(愛知県犬山市(旧丹羽郡))にあった日本の城。天守のみが現存し江戸時代までに建造された「現存12天守」の一つである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城・松本城・彦根城・松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている[1][2]。日本で最後まで個人が所有していた城(2004年まで個人所有)である。
概要犬山城主要部の空中写真国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。木曽川の犬山橋から望む犬山城
(2012年(平成24年)11月)
尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名の白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。
前身となる岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城であり、その後、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権の時に石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。また、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いにおける西軍の重要拠点となった。
江戸時代には尾張藩の付家老の平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろである。2004年(平成16年)3月末日までは日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月1日付けで設立された財団法人犬山城白帝文庫(現在は公益財団法人)に移管されている。