犬吠埼灯台
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犬吠埼灯台

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航路標識番号
[国際標識番号]1869
[M6478]
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分28秒 東経140度52分07秒 / 北緯35.70778度 東経140.86861度 / 35.70778; 140.86861座標: 北緯35度42分28秒 東経140度52分07秒 / 北緯35.70778度 東経140.86861度 / 35.70778; 140.86861
所在地千葉県銚子市犬吠埼9576
塗色・構造白色 塔形 レンガ造
レンズ第1等フレネル式(内径1.84m)
灯質単閃白光、毎15秒に1閃光
実効光度1,100,000 cd
光達距離19.5海里(約 36 km
明弧169度から65度まで
塔高31.30 m (地上 - 塔頂)
灯火標高51.80 m (平均海面 - 灯火)
初点灯1874年明治7年)11月15日
管轄海上保安庁
第三管区海上保安本部
銚子海上保安部
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犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)は、千葉県銚子市犬吠埼に立つ第1等灯台水郷筑波国定公園内に位置する。世界灯台100選日本の灯台50選に選定され、Aランク保存灯台。2010年に国の登録有形文化財に登録を経て、2020年に国の重要文化財に指定された[1][2][3]
概要君ヶ浜より望む犬吠埼と灯台犬吠埼灯台の遠景(夜景)110万 - 200万カンデラの光を放つ

日本を代表する灯台の一つで、歴史的文化財的価値が高く、国の重要文化財に指定され、海上保安庁により「Aランク保存灯台」ともなっており、世界灯台100選日本の灯台50選にも選ばれている。日本に5つしかない最大の第1等レンズ(1等4面フレネル式閃光レンズ[4])を使用した第1等灯台である[5]。電球は400ワットのメタルハライド電球を使用し、110万カンデラの光を放つ。灯塔高 (地上から塔頂までの高さ)31.3メートルで、煉瓦製の建造物としては尻屋埼灯台に次ぐ、日本第2位の高さである。

設計、施工監督者はイギリスから招いた灯台技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンである。建設当初より白色塔形(円形)の煉瓦造灯台であるが、この煉瓦は内務省の土木技師中沢孝政によって生産が試みられた初の日本製(新治県香取郡高岡村、現在の千葉県成田市高岡)であり、およそ19万3000枚が灯台本体のほか、付属施設にも使用されている。ブラントンは当初、日本製煉瓦の使用に反対したといわれ、その強度に不安を感じたためかそれまでの灯台の構造とは違って二重構造になっているが、140年以上の風雪に破損されることも無く耐え今日に至っている。

灯台の竣工間近、巨大なレンズを見た地元漁師は驚き恐れて「灯台成リ、大洋灯ヲ点ジ海上ヲ照ラスニ至レバ、是ガタメ沿岸ノ魚族ノ棲息ヲ絶チ、漁民ハ特ニ大イナル悲運ニ遭遇スベシ(灯火が明る過ぎて魚が獲れなくなる)」と、灯台建設の即時中止の請願運動を展開した。ところが灯台初点灯の翌年はが稀にみる豊漁となり、地元漁師の懸念は杞憂であったばかりか、豊漁は「灯台様のお陰」と喜ばれる結果となった。

周辺は水郷筑波国定公園に指定されており、太平洋を臨む景勝地として多くの観光客が訪れている。
歴史藤島武二筆『犬吠岬の灯台』

犬吠埼を仰ぐ銚子は、太平洋に突出する銚子半島利根川河口による天然の良港として、古くから交通の要所、魚介類の水揚げ場(銚子漁港)、醤油の生産地として栄え、多くの船舶が入出港していた。しかし、犬吠埼付近に岩礁、暗礁が多く、海流が複雑で、鳴門海峡伊良湖岬沖と共に、海の三大難所として多くの人命が失われた場所でもあった。1868年10月6日慶応4年8月21日)には、幕府の軍艦「美賀保丸」が暴風雨に遭い、黒生(くろはい)沖の岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員13名が死亡するという事故も起きていた。このような状況の中、銚子漁港の改修と洋式灯台の設置が求められ、明治時代初期に江戸条約によって建設された8基、及び大坂条約によって建設された5基の洋式灯台に続く重要な灯台として建設が決まった。
沿革

1872年10月4日旧暦明治5年9月2日):着工。

1874年明治7年)11月15日:竣工し初点灯[6]

1878年(明治11年)1月1日:気象観測業務開始。

1907年(明治40年)10月1日:船舶通報事務取扱開始[7]

1910年(明治43年)4月1日霧信号所霧笛舎竣工。霧笛号業務開始[8]

1923年大正12年)5月27日:これまでの石油灯を電気灯火とし、燭光数変更[9]

1930年昭和5年)

2月25日:灯器改造工事のため等級、灯質、燭光数変更(仮灯に変更)[10][11]

3月25日:灯器改造工事完成。灯質変更、光力増大の上点灯[12][13]


1932年(昭和7年)12月15日無線方位信号所業務開始(無線標識)[14]

1941年(昭和16年)3月11日:構内に犬吠埼電信局設置[15]

1945年(昭和20年)

8月10日:7機の米軍戦闘機による攻撃を受け破損。技術員1名殉職。

11月10日:再点灯[16]


1951年(昭和26年)

3月31日戦災復旧工事完了。初点灯より使用していた初代レンズ(仏製1等八面閃光レンズ)退役。

9月1日:暴風標識信号所設置[17]


1953年(昭和28年)8月1日航路標識事務所設置。

1956年(昭和31年)10月15日:光力増大。


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