人口19,998人、面積157.2km²、人口密度127人/km²。(2024年5月1日、推計人口)
以下の3町を含む。 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。 東部地域は南北に走る鈴鹿山脈の西麓にあたり、東麓側にある三重県いなべ市(旧・員弁郡)および岐阜県大垣市上石津地域自治区(旧・養老郡)と県境を接する。主な山として霊仙山と三国岳 地域は扇状地であり、標高は東に高く、西に低い。最も面積の大きい多賀町は町域の大半が山地であり、平地が少ないのに対して、甲良町と豊郷町は全域が平地である。そして、これらの平地は湖東平野の一部をなしている。 地域の北部を流れる芹川は、霊仙山に発して西進し、彦根市域に入ったのち、琵琶湖に流入する。南部を流れる犬上川は、東方の鈴鹿山脈に発した北谷川と南谷川が多賀町川相(かわない)で合流し、犬上川となって西進。多賀町域から甲良町域・彦根市域を経て琵琶湖に達している。また、最も南部を流れる宇曽川は、鈴鹿山麓の東近江市北東部の永源寺地区の北東に発して西進し、愛知郡愛荘町域・豊郷町域・彦根市域を経て琵琶湖に注ぐ。 近世以前は、いぬがみのこおり、いぬがみこおり、いぬがみごおり、いぬかみごおり、とも呼ばれた。日本武尊(やまとたけるのみこと)の子・稲依別王 下記の郷が置かれた。
豊郷町(とよさとちょう)
甲良町(こうらちょう)
多賀町(たがちょう)
郡域
甲良町・多賀町の全域
彦根市の大部分(松原町、古沢町、里根町、原町、野田山町より南西かつ三津屋町、日夏町、清崎町、賀田山町、太堂町、安食中町より北東[1])
豊郷町の北東部(安食西・安食南・三ツ池・四十九院・石畑・八目・雨降野・八町)
地理
中世以前
古代
多賀郷(たがのごう) / 多可郷(たかのごう)
水沼村(みぬまむら) - 現在の多賀町敏満寺字尼子の南部一帯にあった。現存する日本最古の地図の一つであり、現存する世界最古の地籍図の一つとも考えられる「東大寺領近江国水沼村墾田図」(天平勝宝3年〈751年〉に作成された絵地図。正倉院所蔵)で有名[2]。後世、東大寺の荘園となる[3]。
甲良郷(かわらのごう)
安食郷(あじきのごう、あんじきのごう) - 現・豊郷町域の半分。阿直岐氏の居住地とされる。
覇流村(へるむら) - 犬上郡と愛智郡の郡境で琵琶湖と荒神山に挟まれた曽根沼(現在は彦根市に所在)一帯。