特殊急襲部隊
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特殊部隊
(Special Assault Team)

創設前身部隊(特科中隊、零中隊)1977年11月1日
再編成1996年5月8日
所属政体 日本
所属組織警察
兵種/任務/特性特殊部隊
人員11個班
300名[1]
編成地東京都大阪府北海道千葉県神奈川県愛知県福岡県沖縄県
通称号/略称SAT、特殊急襲部隊
担当地域日本全国
特記事項主な出動事件
三菱銀行人質事件(前身部隊が出動)
全日空857便ハイジャック事件(前身部隊が出動)
西鉄バスジャック事件
町田市立てこもり事件
愛知長久手町立てこもり発砲事件
ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件
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特殊急襲部隊(とくしゅきゅうしゅうぶたい、英語: Special Assault Team, SAT)は、日本の警察警備部に編成されている特殊部隊対テロ作戦を担当しており、ハイジャック重要施設占拠等の重大テロ事件組織的な犯行や強力な武器が使用されている事件において、被害者等の安全を確保しつつ事態を鎮圧し、被疑者検挙することをその主たる任務としている[2]。また、刑事部特殊事件捜査係だけでは対処できない凶悪事件にも出動する。

なお、特殊急襲部隊という名称は「Special Assault Team」を日本語に直訳したもので、正式な部隊名ではない。日本警察においてSATの正式な部隊名は特殊部隊であり[3]、さらに所属する都道府県警察名を付けるため、警視庁特殊部隊、千葉県警察特殊部隊などと表記されている[4][注 1]
来歴
特殊部隊の誕生

1972年9月5日に西ドイツミュンヘンオリンピック事件が発生し、犯行グループによりイスラエル選手11名が殺害された。翌日の9月6日、警察庁は全国の都道府県警察に対して通達を出し、「銃器等使用の重大突発事案」が発生した際、これを制圧できるよう特殊部隊の編成を行う事とした[6]

これに基づき、全国の機動隊に特殊部隊が設置された。これらの部隊は銃器使用事件をはじめ、ハイジャック事件など高度な逮捕制圧技術を要する事案に備えるため、耐弾・耐爆性能を有する装備資器材を有していた[7]警視庁機動隊では第一?九機動隊および特科車両隊に特殊部隊を設置していたが、ふだんはレスキュー隊員や一般の警備に出動しているメンバーで、訓練といっても年に数回行なっているにすぎなかった[8]
特科中隊と零中隊

1977年9月に発生したダッカ日航機ハイジャック事件において、日本政府は、一度は機動隊員23名の派遣を検討したものの、バングラデシュ当局に拒絶されて、結局は犯人側の要求を全面的に受け入れるかたちでの決着となった[8]。これに対し、翌月に発生したルフトハンザ航空181便ハイジャック事件では、西ドイツ政府は犯人側の要求を受け容れることなく、ミュンヘンオリンピック事件を教訓に創設した特殊部隊GSG-9の突入作戦によって犯人を制圧、人質を解放した[9]

ダッカ事件の後、警察は従来の「特殊部隊」による、より実戦的な訓練に着手したものの[8]、2つのハイジャック事件が異なる結末を迎えたことを契機として、政府関係者や警察上層部のあいだで、より本格的な対テロ作戦部隊の保有論が強まった[9]。警察庁は警視庁と大阪府警察に対テロ作戦部隊の編成を下命し、警視庁では1977年10月20日より隊員の面接を開始した。そして同年11月1日、警視庁第六機動隊 特科中隊および大阪府警察第二機動隊 零中隊として、対テロ作戦部隊が発足した[10][11]

部隊創設当時、警視庁機動隊の各隊はそれぞれ6個中隊(基幹中隊4個+特別機動隊2個)編成であったことから、この特科中隊は他の機動隊にはない7個目の中隊として、「六機七中」と通称された[12]。また1982年夏頃、警視総監により、警視庁特科中隊の名称がSAP(Special Armed Police)として認定され、「S」をあしらった紫色の部隊旗が授与された。しかし部隊自体は極秘の扱いであり[11]、第六機動隊の隊員名簿からも名前を消される措置を受けていた[13]
SATへの改編・増強

1995年全日空857便ハイジャック事件での出動に際して、SAPの存在が初めて公表された[11]。翌年の1996年4月1日には警察庁の通達により、従来の警視庁・大阪府警察に加えて北海道警察千葉県警察神奈川県警察愛知県警察福岡県警察にも特殊部隊を設置し、呼称をSAT(Special Assault Team)とすることが決定した[14][15][注 2]。同年5月8日には、特殊部隊の存在が公式に発表されるとともに、警察庁において隊旗授与式が行われ、國松孝次警察庁長官から隊旗が授与された[16]

2000年に警視庁SATは、第六機動隊から警備部警備第一課に所属が移され、2001年に大阪府警察SATは、第二機動隊から警備部警備課に所属が移された。これにより、警視庁と大阪府警察のSATは、組織編成上、機動隊から独立した組織となった[17]。また2005年9月6日には沖縄県警察にもSATが編成され[注 3]、各地の部隊も増員された[11]
編制
所掌

警察庁は特殊部隊(SAT)のほか、銃器対策部隊NBCテロ対応専門部隊等爆発物対応専門部隊等をテロ対処部隊と位置付けており[19]、SATの任務として「ハイジャック、重要施設占拠事案等の重大テロ事件、銃器等の武器を使用した事件等に出動し、被害者や関係者の安全を確保しつつ、被疑者を制圧・検挙する」としている[2]

しかし実際には、特にハイジャックの場合、刑事部人質救出作戦も担当する特殊犯捜査係(SIT)などとの境界線が問題になる。政治的な背景をもった事件は警備部(SAT)、そうでない事件は刑事部(SIT)とされたこともあったものの、実際にはその区別がはっきりせず、結局はその都度警察本部長の裁定を受けることになっている[20]。概して、戦技・体力ではSAT、捜査力ではSITが優れていると評される[20]。また武器の使用へのスタンスにも差異があり、SITでは犯人の逮捕を重視して[21]、犯人射殺への抵抗が強いのに対し[22]、SATでは、頭部を照準しての短連射で確実に制圧することを重視している[23]
組織

上記の経緯により、現在では、警視庁大阪府警察北海道警察千葉県警察神奈川県警察愛知県警察福岡県警察沖縄県警察の8個警察本部にSATが設置されている。基本的には機動隊に設置されているが、警視庁では警備部警備第一課、大阪府警では警備部警備課の附置機関とされており、機動隊から独立している[24]。部隊は各都道府県警察警備部の所属ではあるものの、警察庁警備局警備第二課の運用下にある[25]

警視庁の特科中隊の創設時の体制は警視1名、警部2名、警部補6名、巡査部長12名、巡査30名の計51名体制であり、大阪府警察の零中隊は約半数の規模であったとされている[10]。特科中隊では、当初は小隊編成であったが、後に専門任務別のチーム制に移行した[13]

SATとして改編された後は、警視庁に3個班、大阪府警察に2個班、他の道県警察に各1個班の合計11個班が編成され、部隊の総員は300名とされている。警視庁では警備第一課長、道府県警察本部では警備課長など警視指揮官として、指揮班、制圧班、狙撃支援班、技術支援班という班編成となっており、各班長は警部・警部補が務めているといわれている。また1個班にはおよそ20名の隊員がいるとされる[24]。2012年に公開された訓練では、警視庁SATにおいて化学防護担当の隊員が確認された。また、警備犬担当の隊員も確認された[26]。 さらに2016年に公開された訓練では、警視庁SATにおいてメディック担当の隊員が確認された[27]
人員

元関係者の証言によれば、警視庁SATは、機動隊の新隊員訓練にあわせて、おおむね6ヶ月ごとに試験入隊者を募り、2?4名程度の新隊員を採用していたとされる[28]。また警視庁の特科中隊が創設された際には、機動隊員の中から、武道や運動能力に秀でた者や射撃選手、銃器対策部隊隊員、爆発物処理隊員、レスキュー隊員、レンジャー隊員に指定されているものを対象として入隊希望者を募っていた[10]。SAT発足当初も、隊員はレンジャー有資格者を中心に選抜されたといわれている[11][注 4]

SATの作戦要員にはレンジャー資格が必須であり、海上保安庁SST隊員と共に陸上自衛隊第一空挺団に派遣され、空挺レンジャー課程を修了しなければならない[30]。また、オーストリアのコブラや、ドイツのGSG-9、フランスのGIGNに研修として派遣されることもある。さらにSATでは臨時で身辺警護なども行うため、部隊員全員が狙撃講習や警護講習、公安講習などの履修を義務づけられており、スーツ姿で警護を行うこともある[31]

機密保持は極めて厳しく、警視庁SATの前身であるSAP当時は、警視庁のコンピュータ個人ファイルや第六機動隊の隊員名簿からも名前を消される措置を受けており、人事記録簿には自筆で「第六機動隊特務係」と記載していた[13]


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