特別捜査部(とくべつそうさぶ)とは、日本の検察庁の一部門。東京・大阪・名古屋の各地方検察庁に設置されている。特捜部・特捜と略されることが多い。 隠退蔵物資事件を契機にGHQ主導で設立された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が前身[1]。 独自の捜査権限を有している検察庁の中でも、大規模事件など、集中的に捜査を行う必要がある案件に取り組む機関として存在している。検事(副検事)のほかに検察事務官により構成されている。 政治家汚職、大型脱税、経済事件を独自に捜査する。一般的な刑事事件は警察による捜査が行われるが、この類の事件では最初から特捜部が捜査する場合が多い。ただし、大型脱税のうち暴力団による所得税法違反については、警察が捜査を開始する場合もある[2]。また、独占禁止法違反については、公正取引委員会に専属告発権限がある。 特捜部長は他の部長よりもランクが上で、地方検察庁ではナンバー1の検事正、ナンバー2の次席検事に次ぐ三席的存在とされる[3]。 1947年に発生した旧日本軍と政界、財界の汚職事件を契機に東京地検特捜部が「隠退蔵事件捜査部」として[4]発足したのが最初。1949年に改称[4]。1957年に大阪地検特捜部が発足し、東京・大阪の2特捜部態勢が続いていたが、1996年に名古屋地方検察庁にも特捜部が置かれ全国で3特捜部の態勢となっている。また汚職の摘発については、入札談合等関与行為防止法(2002年)や不正競争防止法(2004年改正)、公益通報者保護法(2006年)、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(2008年)などの法制も整備されてきている。 なお、3地検以外の一部の地方検察庁には、特捜部と公安部の機能を兼ねた特別刑事部(特刑部)が、旧公安部を改編して設置されている。特刑部は公安検察のテリトリーとなっている。 通称「東京地検特捜部」。 かつては中央合同庁舎第6号館A棟(東京高等検察庁、最高検察庁も入居しているので、B棟と共に通称「検察合同庁舎」と呼ばれる)に入居していたが、現在は千代田区九段南の九段合同庁舎内にある東京地方検察庁九段庁舎に移転している。 東京地検特捜部は政治家汚職、脱税、経済事件などを独自に捜査し、大物政治家の立件・有罪などの結果を出していることから、「日本最強の捜査機関」とも呼ばれている。以前は中央合同庁舎6号館A棟の8階にあったことから「8階が動いていると言われると永田町に戦慄が走る」と評された。政治家の案件ではロッキード事件以降の捜査で完全無罪確定判決が出たことがない(一審無罪でも、控訴審有罪・上告棄却)ため、「不敗神話」といわれることがある。 一方、東京地検特捜部に批判的な立場からは、東京地検特捜部が連合国軍による占領下で、旧日本軍が貯蔵していた隠退蔵物資を摘発してGHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」としてスタートした経緯や特捜部エリートに駐米大使館の一等書記官経験者が多いことから、「アメリカの影響を受けている」とする見方がある[5]。また、捜査対象が歴史的に木曜クラブの流れを汲む平成研究会系列(田中派 - 竹下【登】派 - 小渕派 - 橋本派 - 津島派 - 額賀派 - 竹下【亘】派 - 茂木派)の政治家に集中する一方で、党風刷新連盟を興りとする清和政策研究会系列(福田派 - 安倍【晋太郎】派 - 森派 - 町村派 - 細田派 - 安倍【晋三】派)の政治家は多くが免れていることから[† 1]、「捜査対象が偏っているのではないか?」という主張がある[6]。 警視庁捜査二課とは捜査について協力関係と競争関係双方の面があるとされ、1996年に起きた特別養護老人ホーム汚職事件で、現職の厚生事務次官を逮捕したのは警視庁捜査二課だった。 総勢 検事40名・副検事2名・検察事務官90名
概説
歴史
1947年(昭和22年)- 隠退蔵物資事件を契機に、東京地方検察庁で特捜部の前身「隠匿退蔵物資事件捜査部」、通称「隠退蔵事件捜査部」が発足。
1949年(昭和24年)- 隠匿退事件捜査部、特別捜査部に改称。
1957年(昭和32年)- 大阪地方検察庁に特別捜査部が発足。
1996年(平成 8年)- 名古屋地方検察庁に特別捜査部が発足。
東京地方検察庁特別捜査部
体制
特別捜査部長(部長・検察官)
特殊第1班・特殊第2班(責任者は検察官たる班担当副部長)
財政経済班(責任者は検察官たる班担当副部長)
直告班(責任者は検察官たる班担当副部長)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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