特定地方交通線
[Wikipedia|▼Menu]

特定地方交通線(とくていちほうこうつうせん)は、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(国鉄再建法)に規定する地方交通線のうち、バス転換が適当とされた旅客輸送密度4,000人未満で、なおかつ貨物輸送密度が4,000トン未満の日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線のことである。

赤字ローカル線」と呼ばれたこともあるが、この中から、輸送密度等の条件を勘案して第1次第2次第3次廃止対象路線が選定され、廃止申請が取り下げられた2線を除く全ての対象路線が、最終的に廃止代替バス第三セクター鉄道などに転換された。

なお、赤字線の廃線は国鉄分割民営化によって行われたと認識されることも多いが、国鉄にとって赤字線の問題はかねてからの懸案であり、国鉄分割民営化は1981年(昭和56年)に発足した第二次臨時行政調査会の翌1982年7月末の答申によって行われたもので、同時期に行われた国鉄再建策であるため混同されるがまったく別の政策である。
廃止路線の選定第1次特定地方交通線に指定され、廃線となった赤谷線さよなら列車

1980年10月、国鉄再建法が成立した。翌1981年3月に国鉄再建法施行令が出され、国有鉄道線路名称に準じて国鉄再建法施行令別表に掲げられた路線を対象に、同月出された運輸省告示で、国鉄再建法施行令で定められた基準により1977年 - 1979年度の平均の輸送人員等によって国鉄路線を「幹線」「地方交通線」に分類、さらに地方交通線のうち旅客輸送密度が4,000人/日未満である路線はバスによる輸送を行うことが適当であるとして「特定地方交通線」に指定し、廃止対象としたものである(但し廃止対象を輸送密度4,000人/日未満とした算定理由については開示されなかった)。

参考:運輸省告示の原案とされる日本国有鉄道が提出した鉄道路線の区分一覧

特定地方交通線は地域への影響を考慮し、路線の営業キロ輸送量などによって、第1次、第2次、第3次廃止対象路線に分類された(詳しい選定基準は後述)。

ただし、旅客輸送密度が4,000人/日未満であっても、次の条件に該当する51線区は除外された[1]
ピーク時の乗客が一方向1時間あたり1,000人(バス12台相当で、5分おきのピストン輸送に相当)を超す(第1次廃止対象路線には該当線区なし。第2次廃止対象路線から除外されたのは飯山線[2]。第3次廃止対象路線から除外されたのは宗谷本線石北本線富良野線札沼線江差線津軽線八戸線五能線米坂線磐越東線烏山線水郡線小海線参宮線姫新線因美線境線福塩線芸備線可部線山口線小野田線香椎線唐津線後藤寺線日田彦山線三角線[2])。

代替輸送道路が未整備(第1次廃止対象路線には該当線区なし。第2次廃止対象路線から除外されたのは深名線[3][4][5]岩泉線名松線木次線三江線予土線[2]。第3次廃止対象路線から除外されたのは山田線日南線肥薩線[2]。岩泉線と名松線は第2次廃止対象路線に選定され廃止承認が申請されたが、後にこの理由で除外され廃止承認申請を取り下げ[6])。

代替輸送道路が積雪で年10日以上通行不可能(第1次および第3次廃止対象路線には該当線区なし。第2次廃止対象路線から除外されたのは只見線越美北線[2]天北線名寄本線池北線標津線はこの理由で廃止承認が保留されていたが、冬季の代替輸送に問題がなくなった事を理由に廃止承認が行われたため廃止)。

平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1,000人/日以上(第1次廃止対象路線には該当線区なし。第2次廃止対象路線から除外されたのは釧網本線留萠本線日高本線大湊線気仙沼線[2]。第3次廃止対象路線から除外されたのは花輪線釜石線北上線大船渡線陸羽西線小浜線吉都線[2])。

また、旅客輸送密度が4,000人/日未満であっても、貨物輸送密度が4,000トン/日以上の路線は「幹線」に分類され、もとより廃止対象にはならなかった[注釈 2]
貨物輸送密度規定で幹線となった路線:夕張線美祢線

なお、除外によらない地方交通線(輸送密度4,000人/日以上で、「幹線」の条件を満たさない国鉄維持路線)は、次の41線。田沢湖線陸羽東線石巻線男鹿線左沢線越後線弥彦線吾妻線八高線日光線鹿島線久留里線東金線身延線飯田線武豊線太多線高山本線大糸線七尾線富山港線城端線氷見線桜井線和歌山線播但線加古川線舞鶴線赤穂線津山線吉備線岩徳線鳴門線徳島本線牟岐線内子線大村線久大本線筑豊本線豊肥本線指宿枕崎線[7]
選定の影にあった負の側面.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2020年2月)

この選定基準の機械的な運用により、名古屋四日市方面と南紀尾鷲新宮)・伊勢志摩伊勢市鳥羽)方面とを短絡する役割を持つ伊勢線が廃止対象になったり、中村線のように予土線土讃本線を結ぶ窪川 - 川奥信号場間が分断される可能性が生じても廃止対象となったりした。

鉄道評論家(鉄道アナリスト)の川島令三は、第3次廃止対象路線に指定された岡多線(現・愛知環状鉄道線)について「1998年度現在の輸送密度(約5,138人[注釈 3])から見て、第三セクターではなくJR東海の路線となっていてもおかしくない路線である。国鉄は各線の事情を一切考慮せず、一律に(特定地方交通線に)指定して(廃止・第三セクターへの経営分離をして)しまうというミスを犯してしまった」と指摘している[8]。また、伊勢線については「伊勢線の営業成績が悪かったのは、伊勢鉄道に継承された時点で普通の運転本数は7往復/日のまま、優等列車も『南紀』4往復/日のままという国鉄の消極的経営の結果であり、名古屋と南紀・伊勢志摩方面の短絡線として積極経営すれば国鉄の重要路線となったはずである」と、当時の国鉄の経営姿勢と伊勢線の第三セクター転換に疑問を投げかけた上で「機械的に地方交通線に指定するのは疑問だという声は大きかった」と述べている[8]。また松本典久は第1次廃止対象路線に指定された勝田線について「起点・吉塚駅が福岡市内[注釈 4] に立地し、沿線も福岡市のベッドタウンや工場がある。国鉄がちゃんとした(経営)策を講じていれば十分生き残ることができたと思われる路線」と指摘している[9]
転換推進のための諸制度の制定

1968年に国鉄諮問委員会が「使命を終えた」ローカル線を選定し、その廃止を促したいわゆる「赤字83線」の取り組みが頓挫してしまった反省を受け、以下のように飴と鞭による転換の推進が図られた。

路線の存続・廃止は区間ではなく線区全体で判定・実施された(赤字83線の取り組み時は一部区間が廃止対象となった路線もあった)。

営業キロ1kmあたり3,000万円を上限とする転換交付金補助金)を地元市町村に交付する(特定地方交通線転換交付金制度)。

転換後5年間は赤字(バス転換は全額、鉄道での転換は半額)を事業者に対して補填する(特定地方交通線転換鉄道等運営費補助制度)。

特定地方交通線対策協議会を開始した日から2年以内に協議が調わないと認められる場合には、国鉄は対象路線の廃止とバス転換を行うことができる(国鉄再建法第10条第3項,第4項のいわゆる「見切り発車」条項)。

転換交付金は、転換に要する初期投資(新規の鉄道車両バス車両購入、バス停留所の整備、定期運賃差額補償など)や赤字補填のための経営安定基金の積立などに充てられた。
乗車運動

廃止対象路線の地元では、廃止から逃れるための路線乗車運動や、日本鉄道建設公団による新線建設に関連した廃止対象路線では建設続行による路線延長を推進する運動が行われた。しかし、廃止対象となった路線はもともと利用者がきわめて少ないか、その減少から本数が極限まで削減されていたため、乗車運動で輸送密度を増やそうにも限界があった。

こうした乗車運動に行政は冷淡に対処した。たとえば、第2次廃止対象となった松前線は、乗車運動で一時は廃止対象の基準を外れるだけの輸送成績を記録したが、毎年追試を行い、昭和59年度1984年度)に再び廃止対象になったとしてバス転換された[10]。また、第1次廃止対象となった木原線信楽線若桜線は沿線住民の熱心な乗車運動により第1次対象の基準は上回ったものの、後の第3次対象の基準には届かず、最終的には3路線すべてが第三セクター鉄道に転換された。
転換の形態

特定地方交通線の転換は、1983年10月の白糠線に始まり、1990年4月の宮津線鍛冶屋線大社線の転換を最後に終結し、最終的に83線 (3,157.2 km) が転換された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:124 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef