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綿ふき病患者から排出された綿。水洗い後に乾燥させた綿の一部[1]

綿ふき病(わたふきびょう)とは、1957年昭和32年)、岡山県英田郡美作町(現美作市)に所在する田尻病院において、近隣在住の女性(当時43歳)の皮膚膿瘍切開創から天然綿らしきものが排出されるのが確認され、これを原因不明の奇病、疾患であると捉えた出来事である[2][3][4]

発見者は同病院の創設者で、当時の院長でもあった田尻保(たじりたもつ)医師であり[5]、当医師の名前から田尻病(たじりびょう)とも呼ばれている。いずれも正式な疾患名ではないものの、ブリタニカ国際大百科事典日本語版の1978年(昭和53年)第6巻に『綿ふき病(田尻病)』として掲載されている[6]

高等動物であるヒトから顕花植物である綿セルロース)が産出、排出されるという奇異な現象は、田尻医師による最初の確認時から10年近くも散発的に続き、その間には主治医である田尻医師以外の医師や大学病院等の医療関係者だけでなく、繊維学植物学の専門家などにより調査や検証が行われたが、当時の日本国内の病理学者らによる『常識論』によって研究の気勢が削がれ[7]、調査内容や検証の考察が十分に行われないまま「存在する」対「存在しない」という事実確認の対立軸に発展してしまい、第三者の医師や学者らの間で「黙して語らず」という風潮が形成されていき[3]、やがて患者とされた女性から綿の排出が停止したため、今日では「実在」したのか「虚偽」であったのかを断言できない複雑な歴史的経緯がある[4]

また、昭和30年代当時の医療従事者の間では疾患概念として一般的に認知されていなかったミュンヒハウゼン症候群との関連を、この現象の背景に示唆する考えもあり[8]、類似する原因不明の疾患とされる他の現象を含め、綿ふき病にまつわる一連の出来事を扱うこと自体がアンタッチャブルだと捉える医療関係者も存在する[9]
綿ふき現象の経過

当記事では綿ふき病とされた一連の出来事について、実際に診察や治療、調査や研究に携わった関係者によって書かれた論文や記録、後年になって第三者が考察した文献等を出典とし、その顛末を記述する。文脈の関係上多少前後することはあるが、基本的には時系列に沿って記載する。
田尻医院医療法人三水会田尻病院。2021年3月26日撮影。田尻医院(病院)の位置

1957年昭和32年)5月24日、岡山県英田郡美作町(現美作市)の田尻医院(現、医療法人三水会田尻病院)に、近くに住む43歳の農家の主婦が皮膚の異常を訴えて来院した[10][11][注 1]

診察を行ったのは田尻医院院長(当時)の田尻保である。田尻は1936年(昭和11年)に岡山医科大学 (旧制)(現岡山大学医学部)を卒業。その後、岡山県内の医療機関などで10年ほど働き、1946年(昭和21年)1月に、同県北東部の農村に位置する英田郡楢原村診療所を開設[注 2]、その5年後の1951年(昭和26年)2月に、同郡豊国村明見(みょうけん)地区に診療所を移転した。この場所が今日の田尻病院の所在地である[12]


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