物質
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この項目では、物質について説明しています。材質については「マチエール」をご覧ください。

物質(ぶっしつ)は、最も初等的には、場所をとり一定の量(mass)をもつもののことである[1]。同じことを、もう少し技術的用語を使えば、ものが質量と体積を持っていれば物質であるというのが古典的概念である[2]

いわゆる「もの」のことで、生命精神)と対比される概念[3]。「生命の世界、物質の世界」などと使う。

(哲学)感覚によってその存在が認められるもの[3]。人間の意識に映じはするが、意識からは独立して存在すると考えられるもの[3]

(物理学)物体をかたちづくり、任意に変化させることのできない性質をもつ存在。空間の一部を占め、有限の質量をもつもの。[3]

(化学) 化学品の分類および表示に関する世界調和システム(GHS)においては、「物質」(Substance) という用語は次の意味で使用される。自然状態にあるか、または任意の製造過程において得られる化学元素およびその化合物をいう。製品の安定性を保つ上で必要な添加物や用いられる工程に由来する不純物を含むが、当該物質の安定性に影響せず、またその組成を変化させることなく分離することが可能な溶媒は除く(GHS7版 1.3.3.1.2)。

諸説

「matter(物質)」という概念は西洋哲学史において、古代ギリシアで発祥したが、その正体について、20世紀初頭以前の科学者や哲学者、宗教家は論争を繰り返した[4]。1930年代初頭以降、原子の構造が明らかになり、その性質を説明する量子力学が成立すると、物質の本質を厳密かつ統一的に理解する事が可能になった。これは、20世紀における最大の科学的成果の一つである。

古代ギリシャでは物質は「本質的に不活性なもの」と見なす人がいたが、ビュヒナーやマルクス主義では「運動や活動と一体で切り離せないもの(つまり活性のあるもの)」と見なした[4]デカルトが「本質的に空間に延長する(空間を占める)もの」と見なしたのに対しライプニッツやボスコヴィチは物質を「延長の無い(空間を占めない)、エネルギーの中心」と見なしたし[4]バークリーカントが物質を「本質的に理解不能のもの(あるいは不可知のもの)」と見なしたが、ホッブズは「哲学にとっての唯一な明瞭な根拠」と見なしたし[4]デモクリトスが「その本質として永遠に現実的」と見なしたが、プラトンヘーゲルは「可能態以上のものではありえないある種の存在」と見なした、といった具合である[4]

20世紀初頭まで、科学界において原子の存在の有無について論争が続いたために、物質について様々な解釈が共存した。例えば、物質はものの仮の姿にすぎず、エネルギーのみが本質であるとする Energetiker 論者は原子の存在を否定した。1930年代初頭までに電子と陽子、中性子が相次いで実験的に発見されて、量子力学が完成することによって、矛盾の無い、物質の統一的な理解がはじめて可能になった。物質は物理化学的には「原子で構成されるもの」、初等量子力学または第一量子化の範囲では「質量をもつ波」、場の量子論または第二量子化においては「の励起状態」と理解される。一般に、1/2のスピン角運動量をもつクオークやレプトンなど物質を構成するフェルミ粒子パウリの排他原理に従い、2つ以上の粒子が同一の量子状態を占めることができないため、「場所をとるもの」の性質を持つ。一方、光子のようにスピン角運動量が1であるような素粒子は、複数の粒子が同一の量子状態を占有することが許されるボース粒子であるために、パウリの排他原理に従わず、「場所をとる」という物質特有の性質を持たない。また、光子はゲージ粒子の一種であり、質量をもたない。光子と光子は直接は相互作用したり、原子のような構造を作ったりはしない。このため日常生活においても、光や電波は「物質の一種」であるとは認識されない。

クオークやレプトンそのものは元来、SU(2)L ゲージ対称性を保つ性質を持つために質量を持たないが、ビッグバン後、宇宙が冷却する過程でヒッグス場が自発的対称性の破れにより有限な真空期待値を獲得すると、この量子場との相互作用により質量をもつ物質粒子が出現したと考えられている。一方、ヒッグス場のうち、電荷をもつSU(2)弱アイソスピンゲージ群のz成分は真空期待値をもたないために、光とは相互作用せず、光子は質量を獲得しない。この理論は、2012年のヒッグス粒子の発見により実証された。こうして「場所をとり、質量があるような物質」の背景にある複雑な機構が解明された。宇宙には重力相互作用はするが、直接的な検出が難しい、正体不明の暗黒物質が充満している証拠が得られつつある。また、中性子のみで構成された中性子星や、超高温で出現するクオークグルーオンプラズマなど、新たな物質の形態が存在することがわかってきた。

なお、哲学的に言えば、物質は宇宙を構成する諸存在のうちの1つである。哲学的には物質と対置される概念的存在は「非物質」と呼ばれ、空間時間情報を始めとして、多数存在する。一方、現代科学における場の量子論においては、真空は場の基底状態、物質はスピン1/2の場の励起状態、光はスピン1の場の励起状態であると理解される。一方、時間と空間を量子化して重力現象を説明する量子重力理論は、まだ成立にいたっていない。なお、WMAP等の人工衛星による宇宙マイクロ波背景放射の観測結果により、原子等の通常物質は宇宙の全エネルギーの5%程度に相当しているに過ぎないことが見積もられている。一方、残りの70%は暗黒エネルギー、25%前後は暗黒物質で構成されていると考えられている。このように、人間が日常的に接する物質は、宇宙全体に存在する物質の形態のうちの一部に過ぎないことがわかっている。
現代の日常的な用法

物質は変化現象、出来事などと区別されることが多い。変化は物質に生じる1つの出来事、現象でありうるが、変化自体は物質ではない。ある現象やある出来事も、そこに物質が関与していることはあるが、それ自体としては物質ではない。物質はそうした現象や出来事が起こる場や対象のような位置を占めている。日本語ではこの区別は、物との区別、「モノ」と「コト」の区別として、日常的に用いられている。

この様に、観念的には物質の概念と存在概念と分離することは難しい。この様な観念論は、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という観念論より派生しており、「物体を認識することが、すなわち存在である」と概念付けられる為に他ならない。存在と結び付けられた物質は、その性質(物性)以外にも哲学的な属性(記事 存在を参照のこと)が付加される。そして、物質に着目、執着する姿勢は「物質主義」と呼ばれる。また、そのような信念の持ち主は「物質主義者」と呼ばれる。

すなわち物質と対比されることのある概念として、精神意識)、情報エネルギー空間などがあるが、これは人間の直感による区分であり、現代科学の知見とは必ずしも一致しない。
古代

メソポタミアでは紀元前3000年までに、液体の蒸留および鉱石の昇華用の巧妙に考案された過熱ポットが用いられていた[5]。それからほどなくして、東地中海あたりには合金ガラス香料の製造技術が広がっていった[5]。一方、物質の変化に関するもろもろの過程を当時の人々は、自然神半神たちの人格的な関係、という神話のかたちで説明したものもあった[5]バビロニアには「七つの主天体」「七つの金属」「七つの人体部位」「七つの色」「(一週間の)七つの日」「魂の目覚めの七つの段階」といった複雑な理論体系があったが、現代の「物質」に相当するような概念がはっきりとあったとは言えず、経験の様々の要素・側面の一部として他と混然一体であった[5]
哲学
ギリシア哲学
ソクラテス以前

次に学術の世界で「フォアゾクラティカーVorsokratiker」と呼ばれているソクラテス以前の哲学者(紀元前6世紀ころ?前4世紀ころ)は、さかんに自然について考察していたわけであるが、現代まで伝わっているのは基本的に、後の哲学者たちが書いた文章の中に含まれる断片的なテキストなので、彼らがどのように考えていたのか正確に知ることは難しい。彼らは深い思想をたたえていたようにも読めるが、伝えられたのが断片的な短い言葉であるがゆえにそういう印象を生んでいるだけなのか判断のつきかねる面もある[5]

イオニア人たちは、αρχη アルケー を探求したが、このアルケーというのは現代ではぴったり一致する概念があるわけではないが、「原理」とも「起源」とも、知識理論の「公理」とも、物質世界の「(構成)単位」とも言えるようなものであったのかも知れない[5]


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