凡例牧野貞寧
時代江戸時代末期 - 大正時代
生誕安政4年6月10日(1857年7月30日)
死没大正5年(1916年)12月24日
改名金丸(幼名)、貞邦(初名)→貞寧
戒名本光院殿寧山瑞如大居士
墓所東京都墨田区千歳の要津寺
官位従五位下、正三位、子爵
幕府江戸幕府
藩常陸笠間藩主
氏族牧野氏
父母父:牧野貞直、母:柏木氏(教善院)
兄弟貞寧、邦丸、悌丸、三二郎、長三郎、他
妻牧野忠恭の娘・美子
子娘(牧野貞亮正室)、養子:貞亮
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牧野 貞寧(まきの さだやす)は、常陸笠間藩の第9代(最後)の藩主。成貞系牧野家12代。 安政4年(1857年)6月10日、第8代藩主・牧野貞直の長男として生まれる。明治元年(1868年)12月5日、父が隠居したため家督を継ぐ。家督を継いでからは、戊辰戦争の戦後処理や本家である越後長岡藩の牧野家の再興を新政府に嘆願している。明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により笠間藩知事に任じられ、8月5日に貞邦から貞寧と改名した。後に従五位に叙される。 明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県で藩知事を免職されて東京へ移った。その後は慶應義塾に入って勉学に励んだ。後に笠間小学校 父母 妻 養子
生涯
家族
牧野貞直(父)
柏木氏、教善院 - 側室(母)
牧野美子 - 牧野忠恭の娘
牧野貞亮[注釈 1] - 本多忠寛の九男
脚注
注釈[脚注の使い方]^ 1879年に生まれてすぐ牧野家の養子となり、1907年に東京帝国大学文科大学史学科を卒業、1914年に東宮侍従、1916年に牧野家の家督を継いで襲爵した[4]。東京芝伊皿子町
出典[脚注の使い方]^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』55頁。
^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、10頁。
^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、24頁。
^ 牧野貞亮
日本の爵位
先代
叙爵子爵
(笠間)牧野家初代
1884年 - 1916年次代
牧野貞亮
表
話