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牧野 武朗(まきの たけろう、1923年3月27日 - 2012年5月[1])は、日本の編集者・出版社経営者。 講談社で『少女クラブ』編集部、『なかよし』初代編集長、『週刊少年マガジン』の初代編集長、『週刊現代』の第4代編集長を歴任。1974年に退社した後は、マイヘルス社、マキノ出版、わかさ出版を創立した。 講談社時代は漫画部門のトップとして業界で権力を誇った。1959年に『週刊少年マガジン』を創刊した際、トキワ荘を訪れ、藤子不二雄に執筆を依頼したが『週刊少年サンデー』の依頼の方が早かったため断られた。その後、内田勝が『週刊ぼくらマガジン』創刊で藤子・F・不二雄に『モジャ公』を依頼するまでの10年間、講談社での藤子の執筆は『たのしい一年生』連載の『てぶくろてっちゃん』だけで、『週刊少年マガジン』グループは執筆依頼しなかった。 一方で1962年、売れない少年小説家だった梶原一騎に漫画原作者として『チャンピオン太』を依頼し、『巨人の星』『あしたのジョー』の大ヒットに繋げている。牧野が梶原の自宅を訪れ、執筆依頼する場面は、梶原の遺作となった『男の星座』の最終回に描かれた。
来歴
略歴
1923年:静岡県に出生。
1940年代:静岡師範学校卒業後、2年間小学校教師勤務。
1940年代後半:東京高師文理大哲学科入学。1950年卒業。
1951年:講談社入社。『少女クラブ』編集部に配属。国語辞典を付録にした号で注目を浴びる。
1954年:『なかよし』創刊。初代編集長。
1959年 - 1964年:『週刊少年マガジン』編集長として創刊に携わる。少年向け週刊漫画誌のジャンルを確立。
1962年:『少女フレンド』創刊。編集長を兼任。
1964年10月 - ?:『週刊現代』4代目編集長。サラリーマン向け週刊誌のジャンルを確立。
1969年1月31日:講談社取締役就任。
1974年6月1日:講談社を退社(顧問委嘱)。講談社との共同出資によりマイヘルス社を創立。健康雑誌の月刊誌『壮快』創刊。
1977年:マキノ出版を創立。
1978年:特選街出版を創立。
1979年:こだわりを持った商品を紹介する情報誌、月刊誌『特選街』創刊。
1983年:健康雑誌の月刊誌『安心』創刊。
1989年:わかさ出版を創立。
1990年:健康雑誌の月刊誌『わかさ』創刊。
関連事項
ザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語」(NHK 2009年) - 両誌創刊時のドラマとドキュメントを交えた番組。ドラマ部では今井雅之が牧野を演じた。
参考文献
『新訂増補 人物レファレンス事典 昭和(戦後)・平成編』(日外アソシエーツ,2003年)
塩沢実信『雑誌をつくった編集者たち』(広松書店,1982年)
江國滋『鬼たちの勲章』旺文社文庫(元本『語録・編集鬼たち』1973年)
脚注[脚注の使い方]^ わかさ出版「 ⇒会社案内」2014年12月23日閲覧
表
話
編
歴
週刊少年マガジン編集長
牧野武朗1959-1964
井岡秀次1964-1965
内田勝1965-1971
宮原照夫1971-1978
三樹創作1978-1986
五十嵐隆夫1986-1997
野内雅宏1997-2004
工富保2004-2005