『牧神の午後』(ぼくしんのごご、英: Afternoon of a Faun)は、ジェローム・ロビンズ振付によるバレエ作品である。ドビュッシーの楽曲『牧神の午後への前奏曲』を用い、二人の若いダンサーがリハーサルスタジオで出会う様子を描いている。
本作に影響を与えたのは、ドビュッシーの楽曲の発想源となったマラルメの詩『半獣神の午後』と、ニジンスキーが1912年に発表したバレエ『牧神の午後』、そしてロビンズ自身によるダンサーの観察である。
本作はニューヨーク・シティ・バレエ団に振り付けられ、1953年5月14日、米国のニューヨーク・シティ・センター・オブ・ミュージック&ドラマ(英語版)で初演された。初演者はタナキル・ルクレアとフランシスコ・モンシオン(英語版)である。以後、様々なバレエ団が上演を重ねている。 クロード・ドビュッシーの楽曲『牧神の午後への前奏曲』は、半獣神とニンフの遭遇を描いたステファヌ・マラルメの詩『半獣神の午後』から着想された。ニジンスキー版『牧神の午後』(1912年) 1912年、ヴァーツラフ・ニジンスキーの振付により、この音楽を用いた最初のバレエ『牧神の午後』が初演されたが、あからさまに性的な作品であったことからスキャンダルとなった[1]。1922年にはカシヤン・ゴレイゾフスキー
前史と創作過程
1948年、ロビンズは設立されたばかりのニューヨーク・シティ・バレエ団にダンサー兼振付家として入団した[3]。ロビンズは、1953年のバレエ団の公演にあたり、『牧神の午後への前奏曲』を用いた作品を創ることにした[4]。ロビンズは、ニジンスキーの『牧神の午後』に魅了されていたことに加え、様々なものから着想を得たと語っている[5]。ロビンズによれば、スクール・オブ・アメリカン・バレエ(英語版)の生徒で当時17歳のエドワード・ヴィエラ(英語版)が[2]:221、稽古中に「突然、すごく妙なやり方で体をストレッチしはじめ、あたかも何かを引き出そうとしているかのようだった。自分が何をしているのかわかっていない様子が、まるで動物のようだと思った。それがなんだか頭から離れなくなってしまったんだ」[5]。他にもロビンズは、若い黒人ダンサーのルイス・ジョンソンと女子生徒が、鏡を見ながら『白鳥の湖』のアダージオを稽古している様子を目にし、「二人が、鏡の中で愛のダンスを踊るカップルを見つめながらも、自分たちの体が接近し、そこに性的関心が生じるかもしれないということにまったく無自覚でいる様子に、心を打たれてしまった」という[2]:221。ロビンズは、マラルメの詩の翻訳も読んでいる[4]:223[5]。
ロビンズは本作の舞台を、ニジンスキー版のようなギリシャではなく、ダンススタジオに設定した。ニジンスキー版のニンフは複数人で登場するが、本作ではスタジオの中、若いダンサーが二人きりで出会う[4]:223。