牛荘作戦
右田年英の浮世絵
戦争:日清戦争
年月日:1895年3月4日
場所:遼寧省牛荘(現在の営口)
結果:大日本帝国陸軍の勝利
交戦勢力
大日本帝国 清
指導者・指揮官
野津道貫 劉坤一
戦力
19000人60000人
損害
戦死105人戦死1,880人、捕虜698人
日清戦争
豊島沖
成歓
平壌
黄海
鴨緑江
旅順口
威海衛
牛荘
牛荘作戦(ぎゅうそうさくせん、ニューチャンさくせん)は、日清戦争の戦闘である。 野津道貫第1軍司令官は、遼陽平原の清国軍の掃討作戦実施を大本営に具申した。当初は認められなかったが、その許可が与えられた。第1軍は牛荘に進出し営口占領を計画した。 1895年3月2日、第5師団と第3師団は鞍山站に到着し体勢を整えた。 3月4日、第3師団は耿家庄子から、第5師団は三道崗から牛荘を攻撃した。清国軍は激しく抵抗し、牛荘城内での市街戦が行われた[1]。午後5時頃に戦闘が終結し、3月6日、牛荘は日本軍によって占領された[1]。 なお、牛荘は日清戦争において市街戦の行われた唯一の町である[1]。
概要