牛肉
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牛肉

牛肉(ぎゅうにく)は、食用に処理されたウシである。ビーフ(: Beef[注釈 1])ともいう。
概要神戸ビーフ松阪牛の網焼き高熱で処理されたローストビーフアメリカ合衆国農務省によって、検査される牛

牛肉は、肉牛品種(黒毛和牛など)の肉が多いが、廃乳牛や去勢し肥育した乳牛の肉も売られている。

ウシはほぼすべての部位の肉を食べることが可能とされているが、部位や調理法によっては危険性も伴う(後述)。

西洋料理のタルタルステーキカルパッチョなど、一部の食文化では牛肉の生食に薬味を添える習慣もある。

牛肉は他の食用肉と比べ冷凍保存に向き、冷凍庫で凍結させることで家庭用冷蔵庫(2ドア)なら半年、業務用冷凍庫なら1年は保つとされている。これは一般に鶏肉豚肉を得る上での肥育期間が牛肉を得る上での肥育期間に比べて短いため、それらの肉は筋繊維の構造が急激な肥育で牛肉に比べてほぐれやすくなっている点に関連付けられている。

日本各地の豚肉消費量は一定であるが、関西地方は牛肉の一世帯当りの購入額が多く、その分「豚肉」が少ない。ちなみに、日本の市町村で牛肉の消費量が最も多いのは京都市である。

フランスをはじめ欧米では成牛肉(フランス語: ブッフ b?uf:生きた牛と死んだ牛の肉両方を指す)と、子牛肉(フランス語: ヴォー veau)は異なる流通ルートであり、料理への利用も区別されるのが一般的である。子牛肉は総じてどの部位も赤みが少なく柔らかいのが特徴である。

仏語のブッフから来る英語のビーフが「生きた牛」でなく「死んだ牛の肉」を指すのは、ノルマン・コンクエスト後にイングランドを支配したフランス人上流階級(上流階級なのでイングランドで生きた牛に触れることはまず無い)が牛肉を「ビュフ」と称し、それを見たイングランド人が牛の死肉を「ビーフ」と呼び始めたことに由来する。ちなみに豚肉をポークと称するのも同様の理由からである。逆に鶏肉はチキンとよばれ、生体と食肉で同語であるが、これは被支配者階級でも鶏肉を食する事ができたからである。なお、おいしい部位とされる「サーロイン」の語源は、「腰肉('loigne')の上部('sur')」を意味する古いフランス語である[1]。爵位を意味する'sir'の称号を、イギリス国王がそのあまりのおいしさのために与えたから、という俗説が知られるが、間違いである[2]
歴史
日本の食用史「日本の獣肉食の歴史」も参照

三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条、俗に言う「魏志倭人伝」では、「倭国日本)に牛馬はいない」と書かれており、この記述を信じるなら、当時は牛そのものが日本にはいなかったようである。牛が日本に入ってきたのは、古墳時代の頃とされる[3]

日本書紀』には、神武天皇東征において、弟猾なる者が天皇一行を持て成した折に「牛酒(ししさけ)」を献上したという記述が見られ、これは牛肉とのことではないかという研究がある[4]

この他、642年(『日本書紀』皇極天皇元年6月25日条)に、牛馬を生贄(いけにえ)にした例などもあるが、内容としては、道教の雨乞い儀式で生贄にするも効き目がなかったため、仏教の悔過を行ったというものであり、労働力たる牛馬を神に奉げる大陸渡来の文化である。また675年天武天皇5年)4月17日 (旧暦)のいわゆる肉食禁止令(『日本書紀』)で、4月1日 (旧暦)から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜()の肉食を禁止されていた。一方、庶民にとって一般的な食肉であった鹿は、禁止されなかった[3]

古語拾遺』(9世紀成立)には、「大地主神が田を作る日に、牛肉を田人に食べさせた」とあり、田作りに利用された動物を食べるという点では合鴨農法と同じである。

戦国時代には、ルイス・フロイスの『日欧文化比較』によると「ヨーロッパ人は牝鶏や鶉・パイ・プラモンジュなどを好む。日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻などをよろこぶ」 「ヨーロッパ人は犬は食べないで、牛を食べる。日本人は牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」との記述があり、牛肉はあまり一般的な食材ではなかったようである。一方で、松永貞徳著『慰草』(1652年)によると京都などでもひろくワカ(: Vaca)として牛が食べられていたという。キリスト教イエズス会宣教師が、信者に対して牛肉を振る舞ったり、『細川家御家譜』には、小田原征伐の際、キリシタン大名高山右近が、蒲生氏郷細川忠興に牛肉料理を振る舞ったことが記されている[3]江戸時代1690年(元禄3年)近江彦根藩は「牛肉味噌漬」を「薬喰い」として作り売っていた。健康増進や病人の養生のために食用されていたが、食用家畜として飼育されている牛は皆無だったことから、極めて高価な「薬」であったらしい。ただし廃用農耕牛は肉質は硬いが毒があるわけではなく、実際にはこれが食用に回されていた。

彦根藩井伊家は毎年徳川将軍家(江戸)と徳川御三家(名古屋、和歌山、水戸)に「牛肉味噌漬」などを献上していた。水戸藩主の徳川斉昭は、大の肉好きとして知られており、彦根から近江の牛を贈られた時には、返礼の手紙を書いている[5]。また、同時代には牛肉の栄養に着目、寒い時期に乾肉を生産していた。江戸ではももんじ屋などで食べるようになった。幕末期、桑名藩藩士が記した『桑名日記』には、孫に牛肉を買ってきて食べさせたという記述があり、せがまれた末に4日間も食べさせたと記されており、当時から美味として知られていた[6]

このように、日本でも古くから牛肉が食べられていたものの、広く食べられ始めたのは、明治文明開化以降であり、牛なべ屋(すき焼き)が流行した。また、1872年明治5年)1月24日明治天皇が牛肉を食べたといわれているが、皇族用の御料牧場では肉牛は飼養管理されていない(2011年現在)。戦前、肉類では鶏肉だけ高く、牛肉、豚肉、馬肉は相対的に安かった。また、役用牛の解体が多い年は牛肉は豚肉よりも安く流通した。1960年頃から農業で牛が使われなくなり、役用牛がでなくなると牛肉は高騰した。しかし1991年平成3年)4月からの牛肉の輸入自由化によって日本国外から安価な牛肉が入ってくるようになったため、家庭の食卓に頻繁に上るようにもなっている。
部位「en:Cut of beef」も参照日本式の呼び名イギリス式の呼び名

日本においては、食肉小売品質基準において以下の部位表示の区分が定められている[7]
牛ネック

牛かた
日本に輸入される牛肉のショルダークロッド、クロッド(英語版)(ブレード)、チャックテンダーを含む。
牛かたロース
日本に輸入される牛肉のチャックロールを含む。
牛リブロース
日本に輸入される牛肉のリブアイロール、キューブロールを含む。
牛サーロイン
日本に輸入される牛肉のストリップロインを含む。
牛ヒレ
日本に輸入される牛肉のフルテンダーロイン、テンダーロインを含む。
牛ばら
日本に輸入される牛肉のブリスケット、ショートブレード、ブリスケットポイントエンド、ブリスケットナーベルエンド、ショートリブ(英語版)を含む。
かたばら

そとばら

牛もも
日本に輸入される牛肉のトップ(インサイド)ラウンド、トップ(イン)サイド、ナックル、シックフランクを含む。
うちもも

しんたま

牛そともも
日本に輸入される牛肉のるボトム(グースネック)ラウンド、シルバーサイド(英語版)を含む。
牛らんぷ


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